応援してくれた人、苦楽を共にした仲間のおかげで頑張れた

――キャリアについてうかがいます。北海道にいた頃から、東京に出たいと強く思っていらっしゃったのでしょうか?

金子 特にやりたいこともなく、悶々としていました。周りの友達は大学進学や就職が決まっていましたが、何をしたいんだろうとずっと考えていました。自信はなかったんですが、「ちょっと挑戦するのもありかな」と思って、高校3年生のとき、事務所のオーディションを受けました。

――金子さんの決断を、ご家族は応援してくれていましたか?

金子 賛成してくれていましたね。まさか受かると思っていないから、「受験だと思って頑張りな」と。

――同じタイミングで上京した友達はいましたか?

金子 いなかったです。仲の良い友達はわりと地元愛が強い人が多く、東京で何かしようという考えの人はいなかったですね。何人かは「俳優になりたい」と上京した人もいましたが、1年もしないうちに帰ってしまって。

――もともと映画やドラマを観るのは好きでしたか?

金子 はい。なかでも倉本聰さんの作品は、「人にこんな感動を与えることができる仕事って素敵だなと」と思って観ていました。

――オーディションに合格するまで人前で演技の経験はありましたか?

金子 なかったです。本当に何もわからないし、何もできないという感じでしたね。ものすごく孤独でしたし、辞めたいと思った時もありました。でも、応援してくれている人や、苦楽を共にした仲間のおかげで頑張ってこられたと思っています。それがなかったら多分、続けられていなかった。今は仕事を頂けることに感謝しています。

――ブレイクできない期間も、お芝居の楽しさは感じていましたか?

金子 東京に来てからの3年間が特に大変でした。オーディションにも全く受からないし、本当に仕事がなかった。お芝居が楽しいと思えるようになったのは、ここ2、3年です。

――それでも踏みとどまることができたのはなぜでしょうか?

金子 3年目でドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る。」の主演、さらに映画『猿楽町で会いましょう』の主演が決まったことが大きかったですね。孤独な役だったことも自分の境遇にリンクしました。映画は、仕事もうまくいかない、恋愛してもお金がないし、何者にもなれず、人間としても余裕がない20代前半の未完成さが全て重なったような役柄だったので「自分の経験を全てそこに詰め込んでやろう」と。その作品を面白いと言ってくれる方がいて、少しずつ「やって良かった」「楽しいな」と思えるようになりました。そこからいろんなことが動き出したような感じがします。

――最初の主演となった映画のオーディションでは、自分の中で手応えを感じることができましたか?

金子 ここで何も見せることができなかったら終わりだな、という思いもありましたが、役柄にうまくはまったという部分もあったと思います。観てくれた方の感想を聞いて、頑張って良かったなというか、あの3年間は無駄じゃなかったなと思えてから全てが変わり始めました。当時、覚悟があったかどうかはわからないですが、勢いはありました。今の芝居は今しかできない。気がついたらもう日が経っていた感じで、とにかくがむしゃらでしたね。今はもう少しいろんなことを考えられるようになったので、一つひとつやっていこうと思います。