『スウィングガールズ』出演をきっかけに状況が一変

――学生時代のこともお聞きしたいのですが、お仕事を始めたきっかけはスカウトでしょうか?

貫地谷 はい。中学2年生の時です。マネージャーは今のチーフマネジャーで、「身長伸びるよね?」と言ってたんですが1ミリも伸びませんでした(笑)。

――最初はこのお仕事をされることについて、ご両親が反対されたそうですね。

貫地谷 そうですね。親に相談した時には、「普通の幸せを見つけなさい」と言われました。

――スカウトを受ける前から、芸能界に興味はあったんですか?

貫地谷 考えたこともない世界でした。でもスカウトされて、そういう世界があるんだと思ったら、ちょっと興味が出てきたんですよね。親にも最初は反対されていたんですが、母は学生時代にスカウトされた経験があったみたいで、やっぱり祖母に反対されてできなかったから、「興味があるんだったらやってみたら」と背中を押してくれました。父は、私が出た作品が放送されるまで反対していましたが、だんだんお仕事も増えて、応援してくれるようになりました。

――映画に出始めたのは高校生ぐらいですね。

貫地谷 高校に入ってからはオーディションに行く日々で、全然受からなくて。「これで落ちたら辞めよう」と思って受けた映画のオーディションに受かって、いまここにいます(笑)。それが『SURVIVE STYLE5+』という映画で、その後『スウィングガールズ』などが決まっていきました。『SURVIVE STYLE5+』がきっかけで、気持ちが前向きになったからなのか、そこからはオーディションに受かるようになりました。

――『スウィングガールズ』に出演したのは大学生の時でしょうか?

貫地谷 公開した時は大学生でしたが、撮っていた時期は高校生でしたね。

――上野樹里さんや本仮屋ユイカさんはじめ、今見ると豪華なメンバーですね。

貫地谷 全員オーディションで決まったんですが、決まった子からどんどん練習の場所に参加していくんです。最初は自分が何の役をやるかも分からない状態で、合宿で初めて自分の役を知りました。監督が一人ひとりに「この子はこういう奴だ」というのを細かく書いた紙を配って、「あ、この役なんだ」と分かるんです。

――オーディションでは高校生のブラスバンドの映画ということ以外は分からなかったんですね。

貫地谷 そうです。それだけの情報でオーディションを受けて。いろんな方が来ていました。

――楽器の練習はいかがでしたか?

貫地谷 私と本仮屋ユイカちゃんは楽器をやった経験がなくて、二人とも落ちこぼれみたいな感じで、いつも居残り練習させられていました(笑)。

――矢口史靖監督による、『ウォーターボーイズ』の次回作として注目されましたが、その期待を上回る大ヒットでした。

貫地谷 それこそ「公開初日で『ウォーターボーイズ』を超えた!」みたいなことを言われていました。ただ「追加のギャラは払えません」と言われて(笑)、プロデューサーがキャンペーンでロスとニューヨークに連れて行ってくれて、それがご褒美でした。

――『スウィングガールズ』出演後は環境も変わりましたか?

貫地谷 やっぱり『スウィングガールズ』があったから、それまでオーディションを受けていたものが、オファーされるようになっていくきっかけになったので、すごくありがたかったですね。