広島ではライブ中の記憶がまるまる消えた

――3~4月に東京と大阪で一日ずつ開催された野音ライブ「最下層からの観測」での感想を聞かせてください。

柳田周作(以下、柳田) 「事象の地平線」ツアーでは、ちょっとずつライブの感覚を身につけていく感覚があったんですけど、野音に関しては2日間しかない中でお客さんに圧倒されず、よく四人でやりきったと思います。空が暗くなりかけてからスタートして、バラードを歌い始める頃には真っ暗になるという、時間の流れもすごくよかったです。日比谷ではアユニ・D(BiSH)さん、大阪ではキタニ(タツヤ)に出てもらいましたが、そういった試みも初めてで、すごく刺激的な2日間になりました。

――曲順についてはいかがですか?

柳田 このライブの前にMerry Rock ParadeというフェスでSUPER BEAVERを見て、じんわりライブが始まっていくのがすごくグっときたんです。それが神サイでもそれができたらいいなと考え、弾き語りから始まってイントロで爆発するやり方にトライしました。

――5月からは全国13都市14公演となる「事象の地平線」のツアーが福岡からスタート、全国13都市を巡り、7月17日に東京のLINE CUBE SHIBUYAでファイナルを迎えられました。観客にどんなメッセージを伝えたいと思っていましたか?

柳田 「悲しいことや辛いことを抱えながら生きている人がたくさんいるけど、それでも何とか生き抜いてほしい」っていうことをテーマに掲げてMCでも言い続けてきました。アーティストとファンが一つの塊になっている感覚が、ツアーが進むごとに強くなっていったと思います。

――ライブの完成度もとても高かったですが、ライブ中に意識していたことはありますか?

柳田 宮崎公演ではキャパが100人くらいで、目の前にお客さんがいます。それだけダイレクトに自分の想いが伝えられるんですけど、広い会場では一番奥まで届けるのが難しくて。そういったことも模索しながらのツアーだったんですが、あるアーティストの方に「会場の外にまで届ける気持ちがないといけない」と言われた時にハッとして。そこで、ファイナル公演では音漏れを聴きに来ている人にも届かせるくらいの気持ちで歌いました。前列だろうが後列だろうが、同じチケットを買ってきてくれているのだから、届くメッセージや想いは一緒じゃないと意味がないと思っています。

――ファイナル公演のセットリストを見ると、『illumination』や『No Matter What』など、インディーズ時代の曲も披露されていますね。

柳田 『illumination』は、歌詞の一部に「才能なんて自分にはないんだけれども、それでも歌うことしか自分にはない」と、下手くそでもとにかく想いを訴えて届けたいことを掲げている楽曲で、この曲があるからこそ自分の存在意義を忘れずにいる、自分の核になっている曲。『No Matter What』は何年ぶりだろうっていうくらい久しぶりで、最終日にだけ披露しました。自分の原点というか、大事なところを忘れたくないからこそ、最後にこの2曲を歌えたことはすごく意味があったと思います。

――今回のツアーでは北は北海道、南は宮崎まで全国をまわられました。お客さんの反応に違いはありましたか?

吉田喜⼀(以下、吉田) 地方ごとの雰囲気の違いを肌で感じましたね。

桐木岳貢(以下、桐木) うまく言えないんですけど、全然違うんですよね。あとは、声出しが制限されていても、客席からつい声が漏れちゃう瞬間がいくつもあって、それは逆にコロナ禍だからこそ体験できることなのかなと。

黒川亮介(以下、黒川) ツアーの映像を観返したら、曲中はみんな声を出すのをグっとこらえて、体で表現してくれていました。

柳田 福岡はツアー1発目なので、メンバーも不安があったんですけど、お客さんに助けられました。会場のBGMが消えた瞬間に拍手が聞こえたのは嬉しかったですね。みんなが待ってくれていることがダイレクトに伝わってきたから。

――このツアーで特に印象に残っていることを教えてください。

柳田 それぞれの公演に色があって良さもあるんですけど、唯一、ライブ中の記憶がまるまる消えているのが広島。買ったばかりのアコギを持っていって、入りのときにEコードを鳴らした記憶しかなくて(笑)。終わった後は魂が吸い取られたような状態。なぜかライブ中にめっちゃ泣いていたらしくて、それくらい感情的になったというか、燃え尽きました。広島自体、行ったのも久々でしたが、お客さんのボルテージもすごく高かった。あんなに何も覚えていないライブってなかったですね。