学生時代にあった三人の音楽のルーツ。“幻の曲”をきっかけに思いが合致して上京を決意

――音楽界で活躍するTHE BEATGARDENのみなさん。それぞれ、学生時代はどのように音楽を楽しんでいましたか?

U 小学2年生からラグビーをやっていて、移動中の車ではリンキン・パークを聴いて試合へのモチベーションを高めていました。自分で演奏するようになったのは、中学1年生からです。今も僕らのトラックを手がけてくれている岡田くんが転校してきて、一緒にバンドを組むことになったんです。文化祭で、リンキン・パークや175R、椎名林檎さんの曲をカバーして。地元の楽器店にあったスタジオへ入り、同級生にマネージャー役を頼んでプロのマネごともやっていました(笑)。その後、岡田くんがギターでフェイクを入れたり、本来とは違うメロディを弾いているのを見て、作曲というものを知り、僕も同じように遊んでいました。振り返ると、現在の仕事の原点になっていたのかなと思います。

REI 音楽のルーツで言うと、小学4年生から地元のダンススクールに通っていたんです。プロになりたいと思い始めたのは、中学時代でした。カニエ・ウエストが来日したとき、一人でチケットを取りライブを見に行ったんですよ。そのとき、人生で初めてライブを見て「アーティストってカッコいんだな」と思って。歌や音楽で人を魅了したい思いが、ふつふつと湧き上がってきたんですよね。中学時代は歌やダンスを習いながら、DTMで曲も作るようになり、どんどん音楽にのめり込んでいきました。

MASATO 中学2年生のときに、兄が旅行先のお土産で買ってきてくれたEXILEさんのアルバムが音楽にハマるきっかけでした。それまで音楽に強い興味はなかったのに、最後のトラックにあったバラード曲を初めて聴いたときに「何だこれは」と衝撃を受けて。耳や心に歌詞が染み込む感覚を生まれて初めて味わいました。次第に僕の中でも「こんな歌を歌いたい」という気持ちが高まっていって、思いついたら即行動な性格だから、その年の文化祭で全校生徒から発表会の参加者を募る「有志発表」で立候補して、全校生徒の前でEXILEさんの曲を歌いました。当時、みんなの前で浴びた感性や拍手がうれしくて、将来は「歌手になりたい」と思うようになりました。

――Uさんは埼玉県、REIさんは大阪府、MASATOさんは滋賀県とそれぞれ出身地はバラバラですが、どのような経緯でグループを結成されたのでしょうか?

U 三人とも、大阪で同じ音楽の専門学校に通っていたんですよ。それぞれソロで活躍できると自信満々だったんですけど(笑)、歌や曲づくり、演奏とパフォーマンスのやり方を学んでいる仲間でした。学校からの帰りには一緒にハンバーガーを食べたり、公園でずっと語り合ったりして。でも、目指している方向はバラバラだったよね。それこそ、MASATOは大阪に骨をうずめるつもりだったもんね。

MASATO 「大阪からデビューしたろ!」みたいな感じでした笑)。

U (笑)。MASATOは滋賀県から、僕は埼玉から来た人間でしたけど、REIは大阪から東京へ上京したい気持ちがあったんですよ。そんなことをしゃべっていたのが、そもそもの結成につながったきっかけでしたね。その後、みんなで「フィーチャリングして曲を作ろう」という話になったんですよ。最初、REIが「一緒にやりませんか?」と声をかけてくれて、すでにトラックはあったから、僕が歌のメロディーを作っていきました。完成した作品をREIのお母さんに聴かせてみたら「この人とやった方がいい」とすすめてくれたみたいで、だから、実質的なグループの立ち上げ人はREIのお母さんですね(笑)。一方で、REIとMASATOが仲よかったし、MASATOの純粋無垢でまだ染まっていない当時の雰囲気も面白かったので「じゃあ、三人でやろうと」となって、結成が決まってから1週間で上京を決めました。

――ちなみに、最初の曲はどういった曲だったのでしょうか?

U 『セクシーウーマン』という曲でしたね。今聴くとハンパなくダサい(笑)。のに、初めて聴いたときにREIとMASATOが「ドーム公演が見えた」と言っていたんです(笑)。僕自身はモヤがかっているような感覚でしたけど、でも、「二人がそう言うのだから見えているのだろう」と。手応えをだいぶ感じていたのか、二人は上京することにだいぶ意気込んでいました。

REI まあ、今『セクシーウーマン』を聴くとかなりダサいし、ドーム公演どころか路上ライブすら見えない(笑)。

MASATO 実際の路上ライブでも一人も足を止めてもらえなかったから(苦笑)。

――(笑)。上京を決めた当時、REIさんとMASATOさんは何を思っていたのでしょうか?

REI 当時は何も知らなかったけど「何か形を残したい」といった、がむしゃらさが強かったのかなと思います。だから、いい意味でブレーキをかけずに上京できたのかな。それぞれの波長が合っていたのは、感じていました。

MASATO 二人に対しての信頼感もあったし、それがなかったら上京していなかったと思います。

U REIが言っていたように、波長が合っていたのは僕も感じていて。三人に共通した何かがあるとは思っていたんです。先ほど言った初めて作った曲『セクシーウーマン』でも、曲自体のよしあしよりも、曲づくりの流れの中で「これ作ろうぜ!」と言ってから完成するまでのスピードとか、そうした部分を共有できたからこそ「この人たちとやりたい」と、可能性を感じられるようになったのかなと思います。