動画でありのままの自分を出すことに行きついた
――オーディションに応募した中学生当時は、何か部活動などをされていましたか?
矢部 中学時代は部活でテニス部に入っていました。最初は「ゆるそうだし、モテそうだから」という理由で入ったんですけど、2年生のときに顧問が変わってからはめちゃくちゃ厳しくなっちゃいました。でも、ファッションは好きだったので、数少ない休日は古着とかでおしゃれして、県内で開催しているスナップ撮影会に行くみたいな。休みが少なかったからこそ、その日に向けて、ファッションもすごくこだわるんです。
――矢部さんは10代からモデルとしての活動を始めていますが、高校は地元である静岡の学校に進学されたんですか?
矢部 地元のお姉ちゃんが通っていた高校です。そこは結構校則が厳しくて、雑誌にモデルとして出ていること自体がダメなんですよ。でも「知らねぇよ!」と、夏休みの間は金髪に染めていました。「学校の校則に従っていたら、この撮影に出られないから!」みたいな感じだったんです。
――ご両親からモデル活動やファッションについて反対されたことはあったんですか?
矢部 まったくなかったですね。「行ってきな~!」という感じで、自由にやらせてもらっていました。でも、校則を違反しすぎて、その高校は退学になってしまったんですけど(笑)。
――それで改めて別の高校に?
矢部 それからは同じ静岡で、制服がなく、髪色もなんでもOKという校則が厳しくない高校に行くことになったんです。それから本格的に着飾る人生が始まりました。
――そうして高校3年生になった時、進路についてはどのように考えていらっしゃいましたか?
矢部 もう「東京に出たい!」という意志しかなかったです。その時は大学に行かないと東京に行かせてもらえないと勝手に思い込んでいて、「大学に入っておけば、とりあえず東京に行ける!」みたいな感覚で、都内の大学に進学することにしました。その時は、映像編集にはまっていたので、映像の芸能科があって、演技やダンス、そういう自分が興味のあることを学べる大学を選びました。まあ、退学したんですけど(笑)。
――それは大学何年生の時だったんですか?
矢部 2年生で辞めました。大学1年生の時点でYouTubeにすごく興味があって、「今すぐ映像編集が知りたいんだ!」と。大学って学ぶ時間が長いぶん、どうしても寄り道が多いから「もっと飛び級で教えてよ!」と思っちゃって(笑)。大学より身近にいる映像関係のお仕事をやっている人に教えてもらった方が早いと考えて、大学には行かなくなりました。
――ちなみにご両親はどう反応されていましたか?
矢部 何も言わなかったんです。それがすごくありがたかったし、本当に好きなようにやらせてもらっていました。反対されたことはたぶん、人生で1回もないですね。
――やりたいことを応援してくれているんですね。そして、現在はYouTuberとしての活動も精力的にされていて、先日も軽井沢旅行のvlogをアップされていました。動画をあげる時に、自分のことをさらけ出すことに対して抵抗はありますか?
矢部 モデルとして活動していた時、「写真で見ると、気が強くてクールそうだけど、会うと全然違うよね」って言われることが多かったんです。それで私自身、人と話すことが好きだし、本当の私らしさは写真じゃ伝えられないっていうことに気づいて。じゃあどうすればいいんだろうって思ったときに、結果として動画でありのままの自分を出すことに行きついたので、あまり抵抗はないですね。それに、モデルさんは自分よりも綺麗な人が何百人もいるから。会ったことのないネット上の人に私の魅力、テンションを伝えるためには、お喋りができる動画がいいなと思っています。
――アップされている動画からも気さくな人柄が伝わってきますが、矢部さんはご自身の明るさの原動力は何だと思いますか?
矢部 母が私にそっくりなんですよ。本当に太陽みたいな性格の人。私が母のことを大好きだから、同じようにハッピーな人間でいたいという思いが原点にあると思います。あとは、仕事で人と接していたときに、気持ちのいい人でいたいというか。いい人間に思われたいというわけではないですけど。
――その明るさが人をより多くの人を惹きつける要因になっているのかもしれないですね。
矢部 私、すごく人に恵まれているんです。マネージャーさんにも「矢部は運がいい」って言われました。それこそ東京はいろんな人がいるから、当然悪い人もいるじゃないですか。でも、自分が出会う人は、すごく優しい人だったり、自分みたいにテンションが高い人だったり、そういう人が周りに多くて恵まれているって思います。