誰もが何かしらの傷を抱えている
――手持ちの画に抵抗があるのはなぜですか?
中島 どうしても「人間」を感じてしまいます。非常に安易なやり方だと思うし、ちょっと感情的になったからといってカメラが揺れ始めるという方法が多用され過ぎているような気がするんです。
――野外での夜のシーンも、ただキレイなだけではない雰囲気があり、印象的でした。
中島 ところどころに監督の映像的言語が反映されていると思いました。のっけから飛坂に不自然に光が当たるというのも、小説ではできない表現だと思います。僕は現場でモニターチェックをしないので、完成されたものを観て気づきました。
――監督の演出について、全体的にどのような印象を受けましたか?
中島 熱心でした(笑)。でも「このタイミングで見て、箸を取って、食べる」と言うような具体的に指示するタイプではありません。僕の出演作を見ていただいたうえで呼んでくださっていたので、信頼してくださっていたとは思います。ただ飛坂の持っている冷たさのようなものを表現するのに苦労した時は、「ここは突き放したように見えていい」と注意してくださいました。
――観終わった後にはある種の爽快感が残りましたが、一方でサスペンスフルなシーンもありました。
中島 飛坂にもらった鏡を見てアイコのアザが広がっていく幻想のシーンは怖いなと思いました。好きな人に素敵だと思われたいからこそ、余計に自分の抱えている傷が際立ち、膨らんでいくことはあると思います。普通は恋人がそこを愛してくれて「私、これでいいんだ」となるところだと思いますが。後半に向かっていくにつれ恋愛が破綻していくのですが、そういった傷がお話の中心になっていくと思いました。
――改めてティーンの読者に映画『よだかの片想い』の見所をアピールしてください!
中島 顔にアザがある主人公の話ですが、アザは顔ではなくて心にある。誰もが何かしらの傷を抱えていて、それは自分だけじゃないと感じられる映画だと思います。直視するのはそれほど気持ちのいいものではありませんが、映画だとそれが美しく見えるし、共感できる。僕自身、そうやって映画に救われてきたところがあります。ちょっと怖い部分もあるかもしれないけど、のぞいてみてほしいと思います。