13年目の今振り返る各々のキャリア。4人それぞれがアイドルを目指したきっかけ
――キャリアについてのお話も。みなさんはなぜ、アイドルを目指したのでしょうか?
庄司 元々は、地元の山形県でダンスをずっと習っていて、発表会やコンテストで「元気をもらったよ」とか「すごい感動したよ」という言葉をいただいて、喜びを感じていたんです。その思いから上京して、ダンスを踊っていた中で声をかけていただいたのが、東京女子流に入るきっかけでした。自分発信で誰かの心を動かせる存在に達成感を感じていましたし、芸能界は未知の世界だったんですけど、このグループで「誰かの心を動かすことができたら」と思って。ステージを見てくださっている方に一番楽しんでもらえるようにしたいし、自分たちも心からパフォーマンス楽しむことでファンの方々の心を揺さぶりたい気持ちは、当時から変わっていません。
中江 昔から体を動かすのが好きで、何事も挑戦したがりな子どもだったんです。この世界へ入ったきっかけはダンスで、お母さんがすすめてくれました。でも、当時からダンスへの得意意識はあったんですけど、歌については頭の片隅にもなかったです。歌もダンスもお笑いも、ステージで誰かを笑顔にできるお仕事への憧れはありましたけど、私は、一生見る側だろうなと思っていたんです。だから、ダンスを習っている中でオーディションのお話を聞いたときは迷ったし、不安もありました。でも今では、チャレンジしてよかったなと思います。活動が始まってからは「やっぱり上手に歌えないな」と悩むときもありましたけど、イチから学んでいくうちに歌うことが大好きになったので、女子流のおかげです。感謝しかないです。
新井 きっかけは、小さい頃から見ていたモデルの蛯原友里さんへの憧れでした。ダンスを習っていた小学校時代に読んでいたオーディション雑誌で、avexのオーディション情報を見て、モデルさんになりたいと思い応募したんです。でも、モデルさんへの憧れは強かったんですけど、歌やダンスには自信がなくて…。ダンスはもちろん、小さい頃におばあちゃんに童謡を教わっていたのもあり歌は大好きでしたけど、苦手意識があったんです。オーディションを受けた当時は、小学生ながらに春休みや夏休みには地元の宮城県から上京して、歌やダンス、モデルさん、演技のレッスンも受けていて、オーディションでは苦戦しながらも、東京女子流への加入が決まりました。
山邊 グループ加入前から芸能活動をしていて、最初は、幼稚園時代に母にすすめられてカタログモデルをやっていたんです。avexのオーディションへ応募したのは、2007年でした。それまで自分の意思で何かをやりたいと言ったことはなかったんですけど、「受けてみたい」と両親に伝えました。でも、モデルさんや女優さんに憧れていたので、歌って踊るとは夢にも思っていなかったです。グループへ加入する前に合宿があり、ウォーキングや演技の審査と並行して「歌もやってください」と言われて。苦手意識もありながら歌ってみたら「東京女子流のオーディションがあるんです」とすすめられたので、参加を決めたんです。無事に合格してからも悩んだんですけど、両親に伝えたら「デビューできるんだね!」と喜んでくれたので、加入を決めて。歌やダンスを好きになるまで時間はかかったんですけど、経験を重ねるにつれて大好きになりました。自分で決めたから今があるし、13年目を迎えられてうれしいです。