歌手を目指すまで恥ずかしくて人前では歌えなかった

――吉野さんは学生時代、バスケに熱中していたそうですね。

吉野北人(以下、吉野) 小学3年生の時、友達に「バスケやらない?」と誘われました。あまり興味もなかったので断っていたんですが、バスケ経験者の父の説得もあって練習を見学に行ったんです。実際にシュートを打たせてもらったら意外とセンスがあったみたいで、監督や所属メンバーからすごく褒められて、「バスケって面白いな」と思って、高校2年生まで続けました。父は、練習を見に来たり、試合では絶対にビデオを回します。家で一緒に反省会もしました。「もっと走らんか!」とダメ出しをされたりして(笑)。家の庭にバスケットリングを手作りしてくれるなど、熱心に協力してくれました。そのバスケットリングで、チームの練習後も一人でシュートを打ち続けたおかげで、シューターというポジションになることもできました。

――チームプレイはいかがでしたか?

吉野 部活でチームプレイを学びました。一人じゃ何もできないし、チームで勝つことが大切だと。周りの人を巻き込み、チームで一緒に上がっていこうという団結力みたいなものが備わったと思います。

――小学6年生の時に県大会で優勝して、全国大会に出場。中学校でも県で一番になって、全国に行ったとお聞きしました。

吉野 僕個人というよりチームが強かったんですが、結果を出したことで自分の自信にも繋がりました。やればやるだけ自信も付くので、とことん練習もしました。歌も独学ではありますけど、自分なりに頑張ったと思います。どんなことでも頑張って自信をつけて、行動に変えれば一歩前に進めるんですよね。

――プロのバスケ選手になりたいという気持ちはありましたか?

吉野 小学生の頃は考えていました。でも中学生になったあたりから、絶対にバスケで上には行けないと分かってきて、別の道を考えるようになりました。

――作詞もされるという吉野さん。もともと文章を書くのは好きでしたか?

吉野 学生時代はそれほどでもなかったです。アーティストになって、歌が仕事になってから、もっと表現力の幅を増やしたい、自分の楽曲も作りたいという想いから、作詞するようになりました。大好きな尾崎豊さんのように、いつかソロで活躍できたらいいなという想いで少しずつ書き留めています。

――アーティストになる前から、歌詞に注目して曲を聴いていたんですか?

吉野 中学生まではほとんど気にしてなかったんですが、高校生になって尾崎さんの歌詞に注目し始めて、この仕事に就いてからはより意味を考えて、深く曲を探るようになりました。

――尾崎豊さんのどこに惹かれたのでしょうか?

吉野 曲の良さはもちろんですが、尾崎豊さんが歌うことで曲に命が吹き込まれるんです。魂というか、身を削っている尾崎さんの姿が歌力になって、心に響くんですよね。高校生の頃には歌手になりたい、EXILEさんみたいになりたいという夢があったので、より深く歌と歌詞が刺さりましたし、憧れるようになりました。

――高校2年生の時に文化祭で「I LOVE YOU」を披露したそうですね。

吉野 大勢の前で歌うのは文化祭が初めてだったんですが、今思えば文化祭で歌うような曲調じゃないし、黒歴史だなと(笑)。友達と二人で歌ったんですが、友達が歌っている時に何をしていいのか分からなくて、お客さんを煽ってしまい……。「I LOVE YOU」の世界観を壊したなという後悔もあって、苦い青春の曲でもあります。

――歌うことに興味を持ったのはいつ頃ですか?

吉野 テレビっ子だったので、小さい頃から歌番組が好きでした。家族の前で、歌番組に出ているアーティストになりきって歌うと、おばあちゃんが喜んでくれたのが、すごくうれしかったんです。ただめちゃくちゃシャイなので、家族の前では歌えても、高校生になるまでは恥ずかしくて、人前で歌うことはなかったです。

――どうして高校生になって人前で歌えるようになったんですか?

吉野 小学生の頃、バスケの監督に「お前は芸能人になれ」と言われてから漠然と芸能界を意識するようになりました。高校生になって、歌手になるという絶対的な目標を達成するには人前で歌わなきゃ始まらないと思ったんです。慣れるために、文化祭や校内のカラオケ大会など、いろんなところで歌いました。

――歌手になる目標を叶えるために、どんな努力をしましたか?

吉野 地元・宮崎の行きつけのカラオケにほぼほぼ毎日行っていたら、お店の方と仲良くなって、料金をおまけしてもらえるようになりました。すごく応援してくれていて、助けられていました。アーティストになってからも、帰省したら友達と歌いに行っていましたし、何か恩返しできればいいなと思ってボードにサインもさせていただきました。