デビュー前は先の見えない真っ暗な道のりを駆け抜けている感覚
――EXILEの曲は、いつ頃から聴くようになったのでしょうか?
吉野 バスケの監督がEXILEさんの曲を愛聴していたので小学生の頃から知ってはいました。中学校では周りの友達も聴いていましたね。ただ、意識し始めたのは、クラスの女の子から「EXILEのTAKAHIROさんに似てる」と言われてからです(笑)。調べてみたら、めっちゃカッコいい!し、曲もライブの演出も素晴らしくてワクワクしました。バスケの練習前に聴くと気持ちも上がるので、いつも聴いていましたね。
――歌手になるという目標は、公言していたんですか?
吉野 高校生になってからは「俺は歌手になる! EXILEになる!」と言っていました。夢を優先するために、高校2年生になってからはバスケを続けながらも、オーディションに行っていました。
――歌手を目指す中でも、高校生活を続けようと思ったのはなぜでしょうか?
吉野 入学式の段階で、「あ、違うかも。すぐ辞めよう」と思いました。でも何かきっかけがあってからじゃないと親も心配すると思って、高校2年生まではバスケもしながら夢を追いかけていました。結果的にはやめることなく高校も卒業しました。担任の先生も含め、周りの人に助けられながら、ここまで来ることができたんだ、って常日頃思います。
――2014年4月、高校3年生の時にLDH主催の「VOCAL BATTLE AUDITION 4」で3万人の中から合格を果たします。
吉野 テレビで見ていたLDHのオーディション番組は絶対に受けたいと思っていたので、親にも言わずにエントリーしました。でも会場が大阪だったので、さすがに親にも言わなきゃと思って話したら、後押ししてくれて、大阪まで車で送ってくれました。
――オーディション会場の雰囲気はいかがでしたか?
吉野 緊張感がありましたし、HIROさんを始め、ずっとテレビで見てきた人たちが目の前で自分の歌を聴いているのは不思議な感覚でした。めちゃくちゃ緊張して、「ヤバいかも……」と思った時に親の顔がパッと浮かんできたんです。せっかく大阪まで送ってくれた親のためにも結果を残したいという想いで歌い切れたので、親には助けられました。
――最終オーディションで「僕が入ればHIROさんの求めているグループになります」と熱い想いを伝えたそうですね。
吉野 最後の審査だし、自分の思いをストレートに言おうと思って、惜しむことなく、伝えました。
――合格した時、すぐに実感は伴いましたか?
吉野 HIROさんから名前を呼ばれても、全く実感が湧かなかったですし、信じられませんでした。いざ夢が叶ったら、うれしいんですけど、「学校はどうするんだろう」「一人で東京に行って大丈夫かな」「どんなグループなんだろう」と、いろんな未来の不安要素が急に押し寄せてきました。
――オーディションに合格後、上京されます。
吉野 環境も変わりましたし、メンタル的にもしんどくて、体調を崩すほどでした。上京していきなりライブのサポートダンサーとして帯同させていただいた時は、ダンス初心者だったので構成や振り付けを覚えるのも精いっぱい。ついていくのに必死でした。先の見えない真っ暗な道のりを、ずっと駆け抜けている感覚でしたね。
――2017年にTHE RAMPAGEがメジャーデビューするまではいかがでしたか?
吉野 向いてないと思いましたし、辞めようかなと思ったこともあります。デビューしてからもいろいろありましたが、諦めずにここまできて、最近はようやく楽しめている感じです。THE RAMPAGE単独でホールツアーを回らせていただいたり、お芝居もさせていただいたりするうちに、少しずつ自信をつけていきました。ファンの皆様も増えてきたし、やっと自分がチームに貢献できているというか、個人としても輝ける場所もあって、表現の幅も増えましたしね。
――この世界に入る前からお芝居に興味はありましたか?
吉野 テレビっ子の僕はドラマを見るのが好きで、よくセリフとかを真似していて、いつかはできたらいいなと思っていました。ただ、いざやってみると演技も苦労しました。今も自分の中の正解を探しています。自分次第でいろんな表現ができるのが役者だと思うし、表現の幅が増えると人としてより成長できる、すごくやりがいがある仕事ですよね。今は楽しんで演じられています。それにお芝居が伸びていけば、歌も伸びますし、相乗効果になっています。
――俳優としての目標を教えてください。
吉野 いろんな役を演じられる役者さんになりたいです。出演中のドラマ「魔法のリノベ」では豪華かつ個性あふれるキャストの皆さんから日々刺激をいただいています。自分もこういう役を演じてみたい、こういう風に演じようと、いろいろな気づきがあるんです。いろんな役に挑戦して自分の幅を広げていきたいです。