いじめられてボロ雑巾のようにボロボロだった学生時代

――『僕の心臓は右にある』を書くことになったきっかけを教えてください。

チャンス大城(以下、大城) 8、9年前ぐらいに、本を読んでいろいろな言葉を覚えようかなと思って、書店でジャケ買いしたのが、『東京タクシードライバー』という山田清機さんの本でした。タクシードライバーの方にインタビューをして、一人ひとりの生い立ちを書いたノンフィクションです。最後に出てくる人の話を読んだ時に、すごい話やなあと本を読んで初めて号泣しまして、Facebookを検索したら山田清機さんがいたんですよね。それでメッセージを送ったら、二人で飲むことになり、その時に僕のエピソードトークをしたら、「本にして出すべきだ」と言われたんです。それから、少しずつ書き溜めていって、山田さんにも原稿を見せて、アドバイスもいただきました。実は4、5年前に完成していたんですけど、どこにも引っかからなかった(笑)。ところが2年前くらいに、朝日新聞出版の方が面白いと言ってくれたんです。それから加筆修正をして、ようやく出せることになりました。

――最初は出版のあてもなく書かれていたんですね。山田さんに進捗状況はお伝えしていたんですか?

大城 最初は連絡を取り合っていたんですが、2年ぐらい山田さんに会うてない時期もありました。僕もだんだん気まずなってきたんですよね。ようやく出版が決まって、改めて山田さんに見せたら、「面白いな~」と言ってもらえました。

――この本を読むと、大城さんの記憶力の良さに驚かされます。

大城 よく言われます。昔からなんです。とんでもないことを忘れたり、最近のことは記憶になかったりするんですけど、昔のことはよく覚えてますね。若かったからでしょうね。

――小学生の頃からいじめられていたそうですが、モチベーションはどう維持されていたんですか?

大城 正直、保ててなかったですね。ボロ雑巾のようにボロボロでした。特に激しくなったのは中学1年生の時で、中学に入ってからみんなの態度が変わったんです。『ビー・バップ・ハイスクール』という映画が流行って、ボンタン、変形ズボン、リーゼント、タイマン、隣の中学との抗争とか……それに憧れる不良が、僕の地元・尼崎にはたくさんいて、もう腹立ってね。あの映画が邪魔でした。いらんことするなよって。キツかった~。よく「いじめられたことをいつまで根に持ってんねん」と言われるんですけど、何かこだわってしまいますよね(笑)。

――いじめられていることは家族に伝えていましたか?

大城 心配かけたくなかったから、言えなかったですね。よく学校を休んで、畑の倉庫にいたんですけど、学校からは「何で来なかったんだ」、家に帰ると「何で行かなかったんだ」と言われ、板ばさみというか。辛かったですね。学校に行かなくてもいい新しい制度ができたらいいですよね。理不尽な奴がいっぱいいましたから。

――当時は引きこもりという言葉もなかったですよね。

大城 引きこもりたかったです。でも家族はそういうのを許してくれないから、ずっと修業ですよね。もっと田舎に住みたかったですよ。でも、尼崎じゃなかったら、芸人になっていなかったかも分からないですね。不良にいじめられていた中学1年生の時に、たまたまおかんに連れて行ってもらった梅田花月で、生で間寛平さんを観て、久々に大笑いしたんです。あの時の衝撃はいまだに忘れられないですね。毎日いじめられて悩んでいる僕を笑わすってすごい人やなあと。それで「お笑いってかっこええ」と思えたし、今の自分があるかもしれません。

――寛平さんに、その時の気持ちを話したことはあるんですか?

大城 つい最近、お台場で寛平さんとお会いして、今回の本をお渡しして「僕は間寛平さんを見て、この世界に入ったんです」と言ったら、「嘘つけ!ホンマか、お前?」って言われました。僕はルミネtheよしもとに出たいって気持ちが人一倍強いんですけど、なぜなら、あそこは修学旅行生がよく来るんですよね。その中には、いじめられている奴もいると思うんですよ。過去の僕みたいに絶対楽しくない奴がいると思うんです。そんな奴に、「チャンス大城っておもろかった」と思ってもらい、僕が学生の時に間寛平さんに救われたみたいな存在になれたらうれしいですね。