自己主張が強い父との路上ライブはまるで漫才
――「The Moon × 星なんて言わず」はライブのアンコールで披露されたそうですが、その時のお客さんの反応はいかがでしたか?
藤原 お客さんは驚かれたと思います。ツーマンライブってお互いのファンの人が来るじゃないですか。Emiさんのお客さんは温かくて、アンコールの時、喜んでもらえてる!と手応えを感じました。
Nakamura 別のステージに出るみたいな感覚のアンコールでした。お客さんの「ええ~、その曲とその曲をくっつけるの?」といった驚いた表情が忘れられないです。終わった後に温かみのある拍手を感じて「やってよかった~」って思いました。
藤原 数か月後に同じメンバーでレコーディングしたのですが、その時もめちゃくちゃ楽しかった。二人で写真撮影する時も「とんとん拍子に、すごいことになっちゃったね」って。
Nakamura ギタリストであり、プロデューサーでもあるカワムラ(ヒロシ)さんが、「セッションみたいな感じも楽しいけど、しっかり聴かせる曲だからこそ、ちゃんとアレンジを組んだほうがいいかもね」と言ってくださって、ピアノのイメージを入れたデモを作ってくださったんです。あの時の空気感をレコーディングで閉じ込めることができて、すごくうれしかったです。
――レコーディングは二人で同じ日に収録されたのですか?
藤原 同じ日に一緒のブースで収録しました。広いブースにピアノのけいこりん、ギターのカワムラさん、Emiさんと私の4人がいて、お互いの顔を見ながら揃ってレコーディングしました。キーを上げた状態で歌いきるEmiさんのパワーに感動しました。
Nakamura コントロールルームで、さくらちゃんの歌を聴いていたのですが、倍音や空気が震える残響感に、みんなで顔を合わせて「やっべえ」みたいな。自分の声とさくらちゃんの声がハモった時の喜びといったら、言葉に表せないくらい。
――ここからは、お二人の高校時代についてお伺いします。高校生の時はどんなことに打ち込んでいましたか?
Nakamura 高校時代はバレーボール部に所属していて、音楽とは無縁な日々でした。30歳ぐらいまでいろんな仕事をして、いろんな経験をしてきたことが、今、歌詞を作る時の土台になっているので、音楽活動をしてこなかったことが今の自分に繋がっているのかも。若い頃に全く違う経験をしたことは無駄ではなかったですね。
藤原 バレーボールは今も続けているんですか?
Nakamura ううん、成人してからはもう。仲間たちは今もママさんバレーをしてたりするけど。
藤原 楽しそう。続けてみたらどうですか?
Nakamura もう無理(笑)。今は一人でポーズだけしてます。
――チームは強かったのでしょうか?
Nakamura 厳しかったけど、そんなに強くなかったです(笑)。でも、根性は叩き込まれました。
――今のNakamuraさんからは、想像しにくいですね(笑)。
Nakamura 「本当にやってたの?」とよく言われます(笑)。当時は『BAN BON!(バンボン)』っていうバレー漫画に影響を受けて、「アタックが打ちたい!」と思ったんです。でも、私が入ってからすぐに、「リベロ」というルールが出来て、アタックが打ちにくくなっちゃったんです(笑)。
藤原 リベロも大事な役割ですよね。
Nakamura そう。リベロで私のバレー人生は終了しました(笑)。
――藤原さんは高校生の時から音楽活動をされていたそうですね。
藤原 小学生の時からギターを弾き始めました。ずっと「シンガーソングライターになりたい」って言っていたけど、何もしていないことに気づいて。高校生になってから曲を書き始めたり、父と路上でライブしたりしていました。
Nakamura 超素敵!
藤原 高校時代は「藤原さくらと保護者たち」っていう名前で、父と、その友達にサポートについてもらって、知り合いのカフェやレストランを中心にライブをしたり、自分で曲を作って歌ったりしていました。
――お父さんと仲が良かったのですね。
藤原 お父さんっ子でした。
――娘と父は離れる時期があるとよく聞きますが。
藤原 父と一緒だと漫才チックになるんです。父がヤイヤイ言ってきたら「うるさい!」みたいな感じで。でも、父からは、たくさん影響を受けました。ベースを弾いてもらっていたんですが、手数が多くて「ここはルートの音だけ弾いてよ」と言ったら、「ギャラもらったら、弾く音減らす」って言ってました(笑)。
Nakamura (苦笑)。