ダンサーがダンサーのままでメジャーになれる道をつくる

――どういう経緯でD.LEAGUEを発足させたのでしょうか。

神田 僕は長くダンス業界にいるんですけど、常にダンサーの受け口をどうつくるか考えていて、マイナビDANCE ALIVE HERO’S(神田氏がオーガナイザーを務める国内最大級のダンスイベント。以下「DANCE ALIVE」)を始め、様々なダンスプロジェクトをプロデュースしてきました。その中で一つの大きな転換期になったのが、2011年に義務教育でダンスが必修科されたことでした。

――2012年に中学校が必修科されました。

神田 それをきっかけに、部活動も含めて学生のダンス層が増えていった流れがあります。僕自身、チームごとにダンサーが争う「DANCE@HERO」(※ストリートダンス情報バラエティ『DANCE@TV』(テレビ東京)内の企画)というテレビ番組を通して、コンテストの新しい形をつくっていたんですけど、もっとダンスをメジャー化するにはどうすればいいのか考えながらダンス事業をやっていて。DANCE ALIVEは、ダンサーがダンサーのままでメジャーになれる道をつくることを目指してやってきたんですけど、バトル的なものは玄人向けなので、一般の方にダンスを伝えるためにはわかりやすいほうがいいだろうと考えていました。実はD.LEAGUEの話が出る前から、ダンス界ではプロリーグ的な発想はありました。

――なぜ、そのときは実現しなかったのでしょうか?

神田 プロリーグをつくるには資本や運営など、いろんな方々を巻き込まないとできないからです。

――ダンスのプロリーグが具体化したきっかけはあったんですか?

神田 DANCE ALIVEを両国国技館でやっていく中で、EXILEHIROさんと出会い、実際に見に来ていただいたところ、「LDHと一緒に何かやらないか」と声をかけてくれました。それでDANCE ALIVE的なことよりも、DANCE@HEROを大きくしたほうがいいんじゃないかと思って。その流れでHIROさんから紹介してもらったのが「踊る経営者」で知られる平野岳史さん。それでD.LEAGUEの構想をお話ししたら、「ぜひとも一緒にやりたい」と言っていただけたことでスタートしました。今は僕と平野さんでD.LEAGUEの代表取締役を務めています。