ギャルだけど、勉強だけはしっかりやっていた
──『1 PICTURE 1 STORY』のオファーを受けたとき、どんなお気持ちでしたか?
佐藤ノア(以下、佐藤) 『bis』は創刊号から長く出させていただいていますが、昔からやっている媒体で新しいことができるのがすごく面白そうだなと思いました。春先に友達とかとラップでコラボして曲を作ったんですよ。そのときに人と共同で作業するのが楽しかったので、考え方が変わった部分はあります。自分の引き出しじゃない部分から、いろんなことが生まれるのが新鮮でした。
──ラップのコラボも以前のバンド活動も「音楽」という共通枠での共同作業でしたよね。異業種とのタッグは勝手が違ったのでは?
佐藤 そうですね。最初にイラストを描く人がいて、曲を作る人がいて、歌詞を書く人がいて、私はそれを歌う役割。順番としては一番最後なんですよ。気持ち的には下請けに近い感じ。今までやったことがない仕事の進め方でした。
──新たな発見もありましたか?
佐藤 自分で歌詞を書くときには絶対に使わないフレーズがいっぱいあったし、ブレスの位置とか技術的な面でも普段とは違うことが多くて。いつもは自分の得意なところだけで勝負しているので、「こういう歌い回し、私って苦手だったんだな」とか気づくことは多かったです。サビの部分とか、滑舌はめっちゃ練習しました。歌手として、普通に歌がうまくなったかもしれない(笑)。
──「インターネットダイビング」は配信シングルとしてもリリースされるそうですが、他に注目ポイントはありますか?
佐藤 やっぱりモモコちゃん(モモコグミカンパニー/BiSH)がストーリーを担当しているので、歌詞の独特な世界観じゃないですかね。テーマ的にもコロナ禍のことだったり、インターネットのことだったり、Z世代に刺さる内容だと思います。この曲は歌詞をしっかり噛み締めてほしいんですよ。それと繰り返しになりますけど、私の練習の成果にも注目していただけたら幸いです(笑)。
──キャリアについてお伺いします。モデルや歌手の仕事を始めたきっかけから教えていただけますか?
佐藤 なんとなくの流れなんですよね。上京した時はモデルの仕事をする気はなかったですし。それが18歳の時なんですけど、バンドをやりたかっただけですから。
──どんな学生時代を送っていました?
佐藤 友達はめっちゃ多かったです。陽キャで、ギャルでしたね。いわゆる白ギャル。読んでいた雑誌は『Popteen』と『egg』で、くみっきーさん(舟山久美子)世代で。だけど、勉強はしていましたよ。人に怒られないように生きようと思っていたので。
──偏見かもしれませんが、ギャルと勉強って正反対なイメージも……。
佐藤 実際、周りのギャルは勉強なんてしていませんでしたけどね(笑)。でも勉強しないと、人生の選択肢が狭くなるのは確かですから。あとから「これをやりたい」と思ってもできなくて、「もっと勉強しておけばよかった…」と後悔するのはもったいないじゃないですか。学生時代なんて暇でやることもないんだから、勉強は絶対にしておいたほうがいいですよ。それから部活もやったほうがいい。部活をやると、礼儀正しくなりますし。やれることは全部やっておけばいいんです。そうしたら大人にも怒られないし、もっと楽しく生きられます。
──勉強も部活も音楽活動もとなると、毎日が異常に忙しくなりそうですね。
佐藤 小さい頃からずっとそんな感じなんです。私、たぶん小学生の頃から性格が変わっていないんですよ。とにかく暇なのが無理で、じっとしていられない。詰め込まなきゃダメな性分。習い事もめっちゃやっていましたしね。たとえば茶道は「いつか私も留学するかもしれない。そのとき、日本文化を紹介できなかったら日本人として恥だな」と考えて始めたんです。それが小学2年生の時だったから、今思えばマセガキだったのかも(笑)。
──その自立心の強さは、どこから来たんでしょうか?
佐藤 親が一種の放任主義なんです。3歳か4歳のとき、お洋服を買いに行って「どっちが似合うかな?」って親に相談したら、「自分で決めな」と言われたり…。「全部、自分で決めなさい」という教育方針なので、小さい頃から判断力がついたんだと思います。うちのお父さん、パンクロッカーなんですよ。まっすぐな人なので、嘘はついちゃダメということは徹底していましたね。
──モデルで人気なのに、硬派なパンクを演奏しているから不思議だったんです。
佐藤 それで言うと、私は完全にパンクやロックで育った人間。たまたま顔が可愛かったからいろんな人に拾ってもらえただけで、根本は変わりようがないと思いますね。