高校時代に制作した自主映画や舞台で高評価を獲得
―学生時代のお話を伺います。いつ頃から自主映画を制作していたんですか?
上田 中学生の頃から撮っていました。家にオヤジのハンディカムがあったので、放課後に友達と集まって、観たばかりの映画を真似して撮って、そこに音楽もつけて、みんなで観ていました。そのときは映画のようなものに憧れて、カメラを振り回していただけでした。でも高校生になって初めてクラスメイトをキャストにして短編映画を作って、文化祭で上映しました。
―反応はどうでしたか?
上田 すごく良かったです。高校の文化祭って、たこ焼き屋さんとかお化け屋敷とか、クラスで出し物をするじゃないですか。僕のクラスは3年間、僕が監督で映画を作って、3年連続で「最優秀出し物賞」に選ばれました。
―それはすごいですね!どんなジャンルの映画だったんですか?
上田 高校1年生のときは約30分の青春映画、2年生のときは約60分の青春映画、3年生のときは約120分の長編で、タイムスリップものの戦争映画を撮りました。
―毎年、上映時間も長くなって、題材も壮大になっていますね。
上田 学校の文化祭だけではなくて、地元のホールを借りて上映会もやってましたし、3年生のときは地元の新聞社に取材もしてもらいました。
―その頃から将来の夢は映画監督だったんですか?
上田 映画を撮ることが楽しかったから撮っていただけで、映画監督って職業は意識していなかったです。映画監督という職業を意識したのは、高校卒業後の進路をどうするか考えたときです。
―高校時代は演劇部にも所属されていたそうですね。
上田 僕らの映画を観た演劇部の顧問から、「うちの演劇部に入って欲しい」と誘いを受けまして。なので入部したのは2年生の終わりぐらいでしたが、3年生のときに演出・主演をした演劇が、近畿で2位になれました。
―入部して数か月で、そこまで結果を残したんですか!でも映画と演劇ではアプローチも全く違いますよね。
上田 今回の『100日間生きたワニ』にも繋がる話かもしれませんが、ずっと僕は映画が好きだったので、映画制作のアプローチのまま演劇をやりました。それが逆に新鮮だったんだと思います。すごく転換の多い演劇で、映画のカット割りのごとく展開して、音楽もガンガン流れる。演劇のセオリーも知らなかったので、映画で培ってきたものを置き換えてやって、それが評価されたんです。