中学・高校時代は文化祭だけ張り切るようなタイプだった

――ウイカさんは高校卒業後に声優の専門学校に通われていたそうですね。

ファーストサマーウイカ(以下、ウイカ) 最初、声優という選択肢は消去法だったんです。将来何になりたいかを考えだす小学生の頃に、一番ハマっていたのがテレビゲームで。最初はゲームを作る人、クリエイターになりたいと思っていたのですが、いかんせん文系で、算数が全くダメだったんです。だからゲームを作る人にはなれない、絵も描けないからデザイナーにもなれないだろうと考えた時に、「ゲームの声をあてている人だったらなれるかも!」と、そこから声優という職業に興味を持ち始めて。ゲームに何かしらの形で関わりたいという考えから導き出されたのがきっかけですね。

――中学・高校時代はどんなキャラクターでしたか?

ウイカ 文化祭の時やたら張り切る生徒ってクラスにいませんでしたか?まさにそれでした。普段はヤンキーでもギャルでもなければ目立たない普通の子だったんですけど、文化祭の時期だけ急に文化委員になって、「みんなで演劇やりま~す!」みたいなことを言いだす。そのパターンでした。今の時代は、TikTokとかがあるから見られることに抵抗がないと思うけど、昔は男子って舞台に出たがらない人が多いから、「あんたロミオね、できると思うんだ」みたいな感じで、キャストをスカウトするところから始まり、「私が脚本と演出を担当して、出演もするから」と指示していました。

――ものすごい行動力ですね。

ウイカ 舞台も音楽も好きだったので、小中高でブラスバンドや軽音楽、舞台制作など、ずっとステージに立つことを続けていました。

――吹奏楽でもバンドでもドラムを担当していたんですよね。

ウイカ 吹奏楽部に入部した時、歯並びが悪いという理由から楽器を吹かせてもらえなくて(笑)、パーカッションを担当したんです。その流れでドラムを始めて。高校でバンドを組もうと思った時に、最初は花形のギターを弾きたいと思って、ギターを買ったんです。ただFのコードは押さえられたけど、アルペジオが弾けなくて、「やっぱドラムが楽でいいや」とそのままドラムを担当していました。

――先ほど消去法で声優を選んだと仰っていましたが、それ以外の進路は考えていなかったんですか?

ウイカ 音楽でも演劇でも何でも、ステージに立つのが好きでずっと続けて行きたかったから、最初は芸大に行こうと思ったんです。大阪芸大や近畿大学の芸術学科などのサマースクールにも行って検討したんですけど、学費が高いじゃないですか。芸能って博打だし、当たるか分からない。高い学費を払ってまで、自分の芸術にベットできないと思ったんです。それで親に相談したら、「お年玉や学資保険で貯めた100万は出せる」と。ちょうど家からチャリで通えるところに声優の専門学校があって、1年目の学費が100万ぐらいだったんです。弟がいるので、弟に大学の費用は取っておきたかったというのもあって、声優の専門学校に行くことを決めました。ただステージに立つ場がなくなるのは辛いと思って、同時に劇団にも入りました。

――劇団はどうやって選ばれたのですか?

ウイカ ネットで「大阪」「劇団」で検索して、一番上に出てきたところ。SEO対策がなされている劇団に行ったということになります(笑)。正直、自分が演劇に関わるのは好きだけど、ほとんど観たことなかったので、その劇団のことも知りませんでした。新人オーディションを開催してたので、とりあえず行ってみよう!と勢いで受けて運よく受かった、という。

――企業に入るみたいな進路を考えたことはなかったんですか?

ウイカ 小学生の時に声優さんになりたいと思ってから、アーティスト、芸能以外で生きることは1ミリも考えたことがないです。

――周りに芸能関係の仕事をしている人はいましたか?

ウイカ いないですね。親戚にファッションデザイナーの石津謙介さんがいますが、歳が離れているので直接の関わりはほとんどないです。親は一般職のサラリーマン。おじいちゃんは警察官、親戚も公務員が多いです。

――芸能関係を目指すことについて、家族は賛成だったんですか?

ウイカ そうですね。幼稚園の頃の写真を見ると、隣の子を差し置いて誰よりも前で大きくタンバリン叩いて目立とうとしていたり、他の子はモジモジしてセリフを言えないのに一人だけマイクを独り占めしてセリフを言ってたり。よく親も言ってるんですが、物心ついた時からステージ気質だったと思います。