「M-1甲子園」で優勝した時は天狗になった

――お二人は昔からお笑いが好きでしたか?

岡下 小さい頃から新喜劇を観て、中学生でお笑いの深夜番組にハマって、高校で漫才して「M-1甲子園(※旧「全国高等学校お笑い選手権」。現「ハイスクールマンザイ」)に出て……と、お笑い好きの王道を歩んでいました。大阪で深夜にやっていたお笑い番組「吉本超合金」のFUJIWARAさんのロケが楽しみで、カメラもないのにひとりでマネしたりしていました。

吉田 私の場合は、頭の中で静かにお笑いのことばかりを考えている、相方とは逆の王道です。「めちゃイケ」(めちゃ×2イケてるッ!)のドンピシャ世代だったので、毎週見ながら「この世界に入りたい」と思っていました。新聞のテレビ欄を見て、目についたお笑い番組を録画しまくって「こんなに溜めてどうするの、早く消して!」と親に文句を言われていました(笑)。人気者になって世間から認知されたい欲求が強くて、高校時代は「早く卒業してお笑いをやりたい」ということだけを考えて過ごしていました。

――当時は漫才師になりたいというより、お笑いが好きだったんですね。

吉田 漫才師を目指すようになったのは「M-1」がきっかけです。世間的にもそうだと思いますが、それまで、単純に面白いと思っていた漫才が「M-1」からかっこいい存在になって、漫才師の格が上がったんですよね。

――岡下さんは高校生の時に「M-1甲子園」に出場されたそうですが、結果はいかがでしたか?

岡下 それが優勝しちゃったんですよ!自分は天才だと思いました(笑)。高校2年生の時に地元のツレと出て、高校3年生の時に前の相方と出て優勝したんです。

――まだNSCにも行ってないのに優勝するなんてすごいですね。

岡下 自分でもすごいと思いました。周りも「絶対芸人になってすぐにテレビ出るやん」みたいな雰囲気になって。その時に審査員だった巨人(オール巨人)師匠から「若手のなかに入っても全然通用するよ」みたいなことを言われて、ほんまに天狗になりました。でも、そっから一回もうまいこといってないですけどね(笑)。

――その時の相方の方と一緒にNSCに入ったのですか?

岡下 そうです。でも、前の相方の親の頼みで一度大学に通うことになりました。結局大学には1年しか行かず辞めてNSCに入りました。

――吉田さんはお一人でNSCに入られたのでしょうか?

吉田 はい。なので相方探しから始めました。たまたま隣にいた人に「一緒にやらへん?」と声をかけたら9歳上の人で。社会人を経験して、相当な覚悟を持って入学したからか、確固たる意志があったようで「私がボケになる」と言われて、ツッコミにまわりました。27歳で、1人でNSCに入って、その事を親にも彼氏にも言っていないと。そんなの変な奴に決まっているじゃないですか(笑)。最終的には結婚するとかなんとかで解散しましたけど。コンビは3年くらい続きました。

――ご家族はお笑いの道に進むことに賛成でしたか?

吉田 学生時代にお笑い番組のビデオを録り溜めて文句を言われていたから、「いつかはそんなことを言い出すんやろうな」と思っているに違いないと思い込んでいたんです。ところが、親にNSCに行くことを切り出したら「そんなん言うと思ってなかった」と言われて。こっちのほうが「そんなん言うと思ってなかったと思ってなかった」と。

――ややこしいですね(笑)。

吉田 「もっとちゃんと考えなさい」とは言われましたけど、NSCに行くつもりでバイトして資金も貯めていたので最終的には「そこまで自分の意志があるなら1回やってみたら」と言われました。本当にベタに「5年であかんかったら考えよう」みたいなことも言われましたけど、今まで「辞めなさい」と言われたことはないですね。

――岡下さんのご家族はいかがでしたか?

岡下 「M-1甲子園」で優勝した実績があったので、最初は親父もイケイケだったんですが、お笑いを始めて5、6年目ぐらいの頃は、ほんまに仕事がなくて、舞台も月に1,2回あるかないか程度で「どうすんねん」と。何回もケンカしましたね。でも、舞台が増えてきて、ちょこちょこテレビ出るようになってからは、何も言わんどころか、僕が衣装用にデザインした「THIS IS Tシャツ」を勝手に改造して着ています(笑)。

――NSCに入ってよかったのはどんなところですか?

岡下 同期ができたことですね。14年間も一緒にいて、いまだに飲みに行って笑える奴って、人生でホンマに数えるほどしかいないと思うんです。そこに学費の40万を払ったと言っても過言じゃないです。