今しかできないことをやろうと大学を辞めてモデルの道を選択

――キャリアについてお伺いします。高校時代は進路についてどのように考えていましたか?

石田ニコル(以下、石田) 医療系大学の診療放射線学科に入るために、高校は進学校に行って、毎日塾に行って、ずっと勉強していました。

――どうしてその学科を選んだのですか?

石田 乳がん検査のマンモグラフィーやMRIを担当する放射線技師は男性が多いので、受診する際に検査に行きにくいという女性がいると聞いて、放射線技師になろうと思ったんです。小さい頃からずっと病院で働きたかったんですよね。

――どなたかの影響ですか?

石田 祖父が入院していた時に、間近で看護師さんやお医者さんを見ていたからだと思います。それで高校卒業後は希望校の診療放射線学科に入りました。

――高校時代に一番打ち込んだのは勉強ですか?

石田 勉強でしたね。部活は、お菓子がもらえるということで外国語研究部に所属していたんですけど(笑)。ほぼ幽霊部員で、学校で勉強して友達と放課後に喋って、そのまま塾に行って帰るというルーティーンでした。

――高校時代に印象に残っている行事はありますか?

石田 文化祭でクラスT(シャツ)をみんなで作ったのですが、そのデザインを担当したのが印象深いです。卒アル委員もしていて、今でも仲のよい親友の子と一緒にみんなの写真を集めてアルバムを作りました。

――小さい頃からモデル活動もしていたんですよね。

石田 小さい頃はモデル活動と言っても遊びみたいな感覚で、途中で辞めてしまいました。ただ中学生ぐらいからファッション誌を見るようになって、モデルさんに憧れていて。そしたらスカウトを受けて、またモデル活動を再開したんです。上京後は、大学に行きながら今の事務所に入って活動していたんですけど、国家試験や病院実習もありますし、診療放射線学科では大きな機械を扱うんですが、一回休むとどうしても遅れをとってしまいます。なんとか両立していましたが、自分の中で、どちらかに保険をかけたくないと思うようになり…、どちらを選ぶかすごく悩みました。その結果、出た答えが「今しかできないことをやろう」と。大学はもう一回勉強したら入り直せるかもしれない。でも、この仕事は今じゃないとできない。それで大学1年の単位を全部取って、大学は辞めました。大学の教授にも相談したら、「石田さんに合ってると思うから、(芸能の世界に)行ってきなさい。石田さんなら大丈夫です」と言って送り出していただけました。

――1年とはいえ、大学での勉強は大変だったのではないでしょうか。

石田 大変でした。化学と生物、数学のほかに物理もやらなきゃいけなくて。大学も週6であって全部レポートが出るので、日曜日に同じクラスの子たちと図書館にこもって、みんなでレポートをやりました。だからサークルとかも入りませんでしたし、バイトもしていなかったです。毎日勉強だったので、いわゆる楽しい大学生ライフはほとんど経験していません。ただ今も大学時代の仲間とたまに連絡のやりとりはしています。

――モデルとしてやっていこうと決断したのは何が大きかったのでしょうか?

石田 2010年に「KOBEコレクション モデルオーディション2010」でグランプリを受賞したことですね。それからはモデルのお仕事を楽しみつつも、見せ方をどうするかなど先輩方の姿を見て学んでいきました。私が見ていた雑誌に出ていたモデルの先輩が、今横で私と一緒に撮影しているという感動もたくさんありました。