チャンスに恵まれない悶々とした気持ちを埋めようと脚本に挑戦

--ここからはキャリアについて伺います。小さい頃からダンスのレッスンをされていたそうですね。

中屋 5歳の時から習っていました。母に言わせると、「音楽が流れたら勝手に踊っていて、それがちょっとおもしろかったから習わせてみよう」ということだったらしいですが、踊ってる時はとにかく楽しかったんですよね。

――人前に立つのは好きでしたか?

中屋 目立ちたがりなほうだったと思います。ダンスで年に2回くらい発表会があるんですが、ステージでどれだけ前に、真ん中に置いてもらえるか、というところで頑張っていました(笑)。

--ダンスの他に、熱中していたものはありますか?

中屋 中学2年生の頃、毎週のようにTSUTAYAに通っていました。10枚レンタルすると1,000円くらいで観られましたしね。観た映画からセリフを書き出したりしていくうちに映画が大好きになりましたし、演技というものにも興味を持つようになりました。洋画邦画関係なく、いろんなものを観ていましたが、なかでも園子温監督(以下、園監督)作品が好きでした。

--高校生の頃はどのような学生でしたか?

中屋 ダンス部に入って、陽気なギャル、と言った感じの同級生たちの仲間に入れてもらっていました。私はいじられキャラで、おかしな行動や言動があったとしても、「柚香だしね」って優しく許してもらっていた感じで、楽しかったですね。

--印象に残っている学校行事はありますか?

中屋 体育祭が盛んな高校だったので、ダンス部員は強制的に応援団を任せられるのですが、いつもは優しい先輩たちが体育祭期間中は急に鬼みたいになって「声ちっちゃいんだよ!」とか怒りだすんです(笑)。応援団を全うした先輩たちが体育祭の後に泣いている姿を見て、私たちも熱い涙を流す。青春を味わいましたね。

--中学生の頃に芽生えたという演技への興味は持ち続けていましたか?

中屋 自分にできるとは思えなかったのに諦められないという不思議な気持ちで、多摩美術大学(以下、多摩美)の演劇舞踊学科に進みました。お芝居は未経験だし、当たって砕けろという気持ちで受験しました。

--多摩美を進学先に選んだのはなぜですか?

中屋 演劇舞踊学科の他にもいろいろ学科があったからです。デザインをしてる子もいれば、大道具や小道具を作る裏方志向の子もいる環境の中で学ぶのがいいのかなと思いました。1~2年生でダンス、脚本、演技、演出などいろいろ学んでから、だんだん専攻が決まっていく感じでしたね。

--実際に入学してみていかがでしたか?

中屋 すごく自由な雰囲気でした。何をしても許されるというか、各々が好きなことをしているから刺激もありましたし、楽しかったです。それに多摩美の図書館には演劇のDVDがいっぱいあるんですよ。「すごい恵まれてるじゃないか!」と思って、休み時間を使って片っ端から観ていました。そこで「こんな劇団があるんだ。こんな演出家さんがいるんだ」と初めて学んだように思います。なかでも、今回の舞台でお世話になった倉持さん、あとは本谷有希子さんが好きでした。

--大学入学後もお芝居への情熱は持ち続けていましたか?

中屋 お芝居の授業が楽しかったので、オーディションをいろいろ受けていましたが、箸にも棒にも引っかからなくて。やってみたいのにチャンスがないという悶々とした思いを埋めるかのように、「自分にできること探し」をしました。脚本を書いてみようと思ったのもその一つです。学年全体が参加する舞台で私の脚本が採用されたんです。

--いきなり脚本を書くとは、またすごいですね。

中屋 元々空想しがちな人間ではあったので「こういう会話があったら面白いよな」って手探りで書いてみたら「面白いね」って褒めてもらえて調子に乗ってしまって(笑)。能楽の「道成寺」という演目をもとにして書きました。サークルの飲み会で、トイレで吐いてる主人公の女の子にゆるふわっぽい(雰囲気のある)男の子が優しくするのですが、そのゆるふわ男には別の女の子がいることを知った主人公の女の子が嫉妬と怒りから蛇になってしまうという話です。私は脚本だけ書いて同級生に演じてもらいました。