幼少期から描き続けてきた絵 教師の薦めで美大へ

――今回のイベント「Emotions183」に発表した田中さんの作品のポイント、こだわったことを教えてください。

田中寛崇(以下、田中) 池袋PARCOに展示されるということで、「池袋」という土地の特徴、「池袋らしさ」を取り入れたいと思いました。住所的には上池袋のあたりだと思うのですが、実際に歩いて取材をして、気に入ったロケーションの写真を撮ってイラストの作業に着手しました。

――普段からそのように取材をしたり、街を歩いて絵のモチーフを探すのでしょうか?

田中 そうですね。街や風景のイラストを描くことが多いので、よく歩いています。実在する場所の切り取り方とか色使いで現実とは違う見せ方が出来ることが面白いなと思っていて、今回も高速道路をオレンジ色で彩色して、三角形を強調して描いています。(※総勢 183名のクリエイターたちが、「Emotion」をテーマに様々な感情を表現した新規の描き下ろし のアートを制作、池袋PARCOをジャックするイベント「Emotions183」が開催されていた)

――田中さんはいつ頃から絵を描くことが好きでしたか?

田中 物心つく前から描いていました。2歳8ヶ月の頃に描いた絵が額入りで実家に飾ってあります。家族を描いた絵のようで、僕自身はその時の事をよく覚えていないのですが、その頃からずーっと描いていたんだなあと、しみじみします。

――そんな小さな頃の絵が飾られているなんて、とても素敵ですね。ティーンになってもずっと絵を書き続けていたのでしょうか。

田中 ずっと絵が好きで、学生時代はクラスで一番絵が得意な子という感じでした。高校の時、美術の授業中に先生に「美大に進んでみたらどうか」と提案されて、美大への受験を意識しはじめて。先生にその言葉を言われたのが高校1年生で、美大を受けてみようかなと考えたのが高校2年生の冬なので、美大受験を目指す人の中では対策が遅い方かもしれないですね。最初はバレーボール部に所属していて忙しく、怪我でやめてからは遊びが忙しかったので(笑)、気づいたら受験シーズンになっていたという感じでした。その時に改めて美大を薦められたことを思い出し、美術予備校に見学に行き、本格的に絵を描き始めました。

――美術予備校ではどんなことを勉強しましたか?

田中 デッサンなど受験対策としての美術の指導を受けていました。僕は「MVを作りたい」と思い、映像制作が学べる専攻やゼミを目指していましたので、多摩美術大学の情報デザイン学科情報芸術コース(当時)に入学しました。

――実際に美大に入学して、驚かれたことはあるでしょうか。

田中 僕は新潟出身で、新潟の美術予備校に通っていたのですが、現役で美大に合格したのが僕だけだったんですね。知り合いが一人もいない状態で入学のオリエンテーションを受けたり、友達を作っていく中で、「変わった人ばかりだな」と思いました(笑)。自分がいかに普通の人生を歩んできたのかと。“美大あるある”ではあるのですが、「自分が普通なこと」が結構コンプレックスになったりするんですよね。本来普通に生きてこられたことはとても幸せなことなんですが、芸術の世界では生い立ちやバックボーンに特徴があった方が良い面もあるので。卒業して仕事をするようになってからは、普通なことが大事な場面も多いので一概には言えないですけどね。あと、美大は一浪、二浪が当たり前の世界で、浪人経験のある人のほうが入学してからは学内の成績が高いんです。浪人経験者たちのアドバンテージがありつつ、僕のような現役生はその中でどう戦っていくかということを考える必要がありました。

――キャンパスライフで印象に残っていることなどを教えてください。

田中 まず、気の合う友達がたくさん出来たことが楽しかったです。多摩美術大学は放任主義なところがあって、学べる環境は学内にたくさんあるけれど、自分が求めないとそれらに触れる機会は無くて。授業であれやった、これやったという思い出はそこまで無くて、環境が整備されているので、やりたいと思ったことにチャレンジした学生生活でした。大学時代は本当にたくさん遊びました。中学2年生くらいからギターをはじめて、バンドもやっていましたし、自由を謳歌していました。イラスト関連でいうと、僕が大学2年生で初めてペンタブを買ってイラストを書き始めた頃は「pixiv」がギリギリ出来ておらず、個人サイト全盛期で、僕も描いた絵を個人のイラストサイトに投稿しはじめました。