新幹線で片道1時間半かけてレッスンに通っていた研究生時代

――この世界に入りたいと思ったのは、いつ頃からですか?

青木詩織(以下、青木) もともと小学生の頃から目立ちたがり屋で、芸能界に対する憧れはあったんです。でも人に話すのはちょっと恥ずかしくて、同級生にはずっと隠していました。

――人前に出るのは得意なほうだったのですか?

青木 はい、学級委員も自分から進んで行うタイプでした。それで中学2年生くらいでAKB48さんが大好きになって、「私もこのグループに入りたいな」と思ったのが最初のきっかけです。

――具体的にオーディションを受けようと思ったのは、いつ頃でしょうか?

青木 高校生になってからです。学校生活が上手くいかなくて、悩んでいた時期があったんです。その頃はAKB48さんが私の心の支えだったんですけど、ちょうどそのタイミングでSKE48のオーディションが静岡であることを知って、受けてみようかなって思いました。

――オーディションを受けることについて、ご家族の反応はいかがでしたか?

青木 わりと賛成してくれました。私が学校のことで悩んでいたのを、何となくわかっていたみたいで。後々、何年も経ってから、お母さんに言われました。

――オーディションを受けるにあたって、何か準備したことがあれば教えてください。

青木 それまでちゃんとダンスをやったことがなかったので、とりあえずTRFさんの「EZ DO DANCE」のDVDを観て練習しました。実際にそれが役に立ったかはわからないですけど(笑)。

――オーディションを受けてみて、いかがでしたか?

青木 オーディションを受けること自体が初めてだったので、すごく緊張しました。自分ではけっこう自信があるほうだと思っていたんですが、周りを見たらもっと自分に自信があるというか、意思の強い子がたくさんいたので圧倒されました。それまで芸能活動をしているような同世代の子が周りに全くいなかったから、「みんなすごいなぁ……」って。

――オーディション合格後は、すぐにやっていけそうだと感じましたか?

青木 いえ、全然です。私はAKB48さんがとにかく好きだったので、SKE48のことまではあまり把握できてなかったんです。体育会系というか、ガツガツ踊る系だというのを加入後に初めて知ったから、思っていたよりダンスもできないし覚えられないしで、けっこう凹みました。これでも一応、中学3年間はバスケットボールをやっていたくらい体育会系ですし、体育祭なんかも張り切るタイプではあるんです。だけどダンスは……舞台に立つ時の重みが全然違いました。

――想像以上にハードだったのですね。

青木 毎日のレッスンについていくので必死でした。しかも、その頃は静岡から通っていたので終電も気にしなきゃいけないし、家に帰るのが日付の変わる直前だしで、体力的にも大変で。新幹線でも片道1時間半かかるので。それで名古屋の通信制の高校に転入しました。

――その頃には高校卒業後の進路として、本格的に芸能の道に進もうと考えていたのですか?

青木 はい。大学はいくつになっても通えると思ったので、今自分がやりたいことを最優先しようと思いました。

――高校も転入し、名古屋での活動をスタートしていかがでしたか?

青木 最初はやっぱり、地元の友達に会えないのがすごく寂しかったです。寂しすぎて体を壊したこともありました。それと、私は研究生からスタートしたんですけど、研究生は正規メンバーに欠員が出たら舞台に出られる、みたいな感じなので、自分がいつ出られるのか基本わからないんです。その上、どのチームで出るのかもわからないから、何のダンスから覚えればいいのかもわからなくて、すごく大変でした。

――研究生時代、周りはライバルという感じでしたか?それとも仲間?

青木 仲間意識のほうが強かったですね。みんな似たような境遇だったこともあって、「高校、大変だね」とか話しながら、お互い助け合っていました。

――研究生から正規メンバーに昇格した時のお気持ちを教えてください。

青木 私が昇格したのはちょうど7期生が入ってきたタイミングだったんですが、その時は昇格できるか、指導係としてアンダーに残されるか、どっちなんだろう?みたいな微妙な感じだったので、自信は全然なかったんです。だから、昇格できた時はすごくうれしかったですね。自分だけのポジションや衣装がもらえるのももちろんですけど、やっぱりチームで活動できるっていうのがうれしかった。それと、ちょうどその頃に地元つながりで「やいづ親善大使」にも任命していただいたんですが、お仕事で時々地元に帰れるのがちょうど良いリフレッシュになって、とてもありがたかったのを覚えています。