主人公が抱える「もどかしさ」は自分自身の思いを投影したもの
――藤井道人さんがプロデュースの映画『生きててごめんなさい』で監督を務めることになった経緯を教えてください。
山口健人(以下、山口) 同じBABEL LABEL所属の藤井さんから、 “現代日本の若者たちが抱える病み”をテーマに作品を作ってみないかとお話をいただいて、そこからいろいろとイメージを膨らませて登場人物のキャラクターをつくり上げていきました。共同脚本に山科有於良にも参加してもらって女性目線を盛り込みつつ、主人公の園田修一(黒羽麻璃央)には僕自身を自己投影しながら作業を進めていって。男性と女性とでは観点が違う部分もあるから、話し合いながら脚本を仕上げていきました。
――小説家を目指しているにも関わらず編集者として多忙を極める修一の悩みや、修一が勤める出版社の雰囲気が、とてもリアルでした。
山口 修一は自己啓発の本を扱う出版社の編集者ですが、編集者って自分の作品を書いているわけではないんですよね。あくまで本の著者は別にいて、その人のサポートをする役割なので。そういう編集者ならではの立ち位置が、ストーリーにおける修一の立ち位置とリンクする気がして、この設定にしたんです。そうした出版社にも取材させていただきましたし、実際の職場もロケ地としてお貸しいただいたりしたんです。なので、リアリティーはかなりあるんじゃないかと思います。
――いろいろなジャンルの本がある中で、自己啓発本の編集者を選んだのはなぜですか?
山口 自己啓発本って、最近も何かと話題ですし、昔から安定して人気が高いですよね。確かに間違ったことは書いていないし、もっとこうすれば良い、みたいなアドバイスもごもっともなんですけど、でも「それができたら、みんなとっくに幸せになってるよ」って思う気持ちもちょっとあるじゃないですか(笑)。そして、読者が幸せになるための本を作っているのに、修一自身は幸せじゃない。そんな矛盾を抱える存在が彼らしいと思いました。
――先ほど、修一にはご自身を投影されたとおっしゃっていました。
山口 そうですね。誰もが持つ悩みだと思いますが、理想と現実のギャップに悩んだり、自分のやりたいことを思うように実現できないもどかしさは投影されている部分はあると思います。同世代の人の才能へ嫉妬を覚えてしまったり。見せたくない悩みや嫉妬、人のもつ醜さを包み隠さず修一に投影しました。そういったある種の痛々しさに、共感してもらえればうれしいですね。