高校時代は成績面でもカースト面でも劣等感を抱き続けていた

――今回発売される初のエッセイ集『生きづらさにまみれて』執筆のきっかけを教えてください。

姫野 これまで発達障害に関する本を多く書いてきたのですが、もっと大きなくくりでの生きづらさについて書いてみたいと思い、担当編集の方に相談したのがきっかけです。ニュースサイトでの連載がもとになっているのですが、書籍化にあたって8割以上の加筆修正をしました。

――より幅広い層、特にティーン世代にも手に取りやすい内容だと感じました。

姫野 そうですね。ティーンはもちろん、あらゆる世代の女性の生きづらさに視点を当てて書こうと思いました。

――姫野さんご自身が「生きづらさ」に気がついたのはいつ頃なのでしょうか?

姫野 小学校に入学した頃です。本書にも書いたように、私の家族は地方では浮いている存在だったんです。農家や畜産業を営んでいる家庭の多い中、母が公務員で父がフリーランスという少し珍しい家庭でした。参観日などがあると周りの子との違いを感じてしまい、そこから漠然とした生きづらさが生まれたように思います。

――小学5年生の頃に、友人がきっかけでリストカットを知ったと書かれていました。

姫野 手首を切るという行為に最初は驚いたのですが、自分でやってみると彼女の言う「すっきりする」という感覚に納得がいきました。

――小学生にして、そこまでのストレスを感じていたということでしょうか?

姫野 厳しい家だったので、宿題のことから茶碗の持ち方まで、細かいことでよく怒られていたんです。そういう日々の積み重ねがストレスとして溜まっていったのだと思います。リストカットが癖になってしまって、中学、高校時代はかなり頻繁にやっていました。

――中学、高校時代はスクールカースト底辺だったという記述がありますね。

姫野 底辺でしたね。スクールカースト上位にいるスカートの短い華やかな子たちを見ると、どうしてあの子たちは校則違反をしているのに親や先生に怒られないんだろうと、自由を許される環境を羨ましく思いました。私の通っていた中高一貫校は、クラスの3分の1が開業医の子女が占めているような学校だったんです。そういう子たちは、みんな将来は医者になることを前提に生きているので、そもそも成績が良かったんですよね。成績が良いから何をしてもある程度許されている。だけど私は、後に判明する算数LDという学習障害のせいで数学が全くできなかったので、高校3年生になって私立文系コースを選択するまでは、成績面でもカースト面でも劣等感を抱き続けていました。

――学生時代に流行を追った服装ができるかどうかは、親の教育方針が少なからず左右します。

姫野 そうですね。私は、親にどう思われるのかをいつも気にしていました。小学生の頃、周りの友達はみんなゲーム機を持っていたんです。私も欲しいという気持ちはあったのですが、どうせダメだと言われることがわかっていたので、何も言いませんでした。その頃から、親に自分の意見を主張したり反発したりすることを諦めていたんです。

――学校でも家庭でも窮屈な思いをされていたんですね。地方に住む学生は、学校と家以外のサードプレイスをどこに求めたら良いと思いますか?

姫野 難しい問題ですね。私のいたスクールカースト底辺のグループ、いわゆるオタクグループには、地元のコスプレイベントや同人誌即売会に通っている子がいました。そこでコスプレをすると、たくさん人が寄ってきて写真を撮られるんです。私も一度だけミニスカサンタのコスプレをしたことがあるのですが、カメラを持った男性が群がってきて、連絡先の交換を求められたりしました。今思えば少し危険な部分もありますが、その子は自分が肯定される場を求めていたのだと思います。