楽しいからずっと続けることができた

――井上さんは小学6年生の頃からアーティスト活動をされています。学校との両立は大変ではなかったですか?

井上苑子(以下、井上) 私は幼稚園のころに一生懸命勉強して、小中高一貫の学校に通っていたのですが、その学校では芸能活動が禁止だったので、途中で辞めて中学で別の学校に入りました。そして、中学2年生の頃には上京したいと思っていたので、高校は東京で受験しなおしました。その高校では、周りに芸能活動をしている方が多くて、いろいろと相談にも乗ってもらっていましたね。自分は音楽ですが、お芝居をやっている友達も多かったので、全然違うジャンルだからこそ、いろいろなお話ができました。なので、両立が大変だったということはなくて、楽しかった思い出ばかりです。

――アーティストというご自身の夢のために環境を変えることをいとわないところが素敵ですね。

井上 私は挑戦することは昔から好きだったので苦にはならなかったです。でも勉強はすごく苦手だったので、そこは大変でした。高校時代のマネージャーさんが、歴史がとても得意で、その時だけは歴史の成績がすごい調子良くて(笑)。ツアー中も、ライブの前や隙間時間に問題を出してもらったりしていて。助かっていました。

――子どもの頃はどんな子でしたか?クラスの中のキャラクターというか。

井上 本当に活発な子どもで。よく言えば、元気とか快活みたいな感じなんすけど、悪く言えばあんまり人の話を聞かないタイプの子でした(笑)。塾に行っても、「分からない所が分からない」と思ったら、「なんでだろう〜、なんでだろう〜♪」って、すぐにテツ&トモさんを歌い始めてしまって怒られたり。楽しかったです。

――おふざけの時も、やっぱり歌なんですね(笑)。

井上 昔からカラオケも好きだったし、空手を習っていたんですけど、空手の道場に私と友達だけになったら、隣のガソリンスタンドから流れてくる有線の曲に合わせて、めちゃめちゃ大きな声で歌っていました。窓を開けて、本当に迷惑だったと思います(笑)。あと、母が歌のトレーナーの仕事をしてたので、お家でも歌うことが多くて。母の歌をずっと真似していて、t.A.T.u.(※ロシア出身の女性デュオ)の曲を、歌詞の意味も英語も分からず歌っていたり(笑)。母の影響はとても大きくて、二人三脚でずっとここまでやってきた感覚があります。

――ご家族に歌の先輩がいると、影響力はすごく大きいですよね。

井上 学芸会や発表会でミュージカルを演じた時に本当に歌を歌いたいなって思って、レッスンに通いたいとお母さんに話をしたました。レッスンのスタジオ内でオーディションがあり、「賞が取れたら学費が半年無料になるから、そうなったら通わせてあげるね」と言わて、結果的に賞をいただくことができたのですが、それがきっかけで今の事務所の社長に声をかけてもらいました。

――ギターの演奏や曲作りはどのように習得しましたか?

井上 作曲は見よう見まねで、ギターで自分が弾ける4つぐらいのコードだけで、最初は何となくメロディーと歌詞を付けていきました。ギターをはじめた時って、つまずきがちな難しいコードがあるのですが、そこに囚われたままだとギターを弾くこと自体が嫌いになってしまいそうなので、最初はできるコードだけで良いと思っていました。そうすると、弾くことが楽しいので、ずっと続けることができて、気づいたら全てのコードが弾けるようになっていました。簡単なコードだけを集めたり、簡単なコードに置き換えたスコアを載せてくれていた本にも助けられていました。