強くなるためのモチベーションとなった大会の賞金

――クラロワを始めたのはいつ頃ですか?

RAD 16、17歳頃だったと思います。それ以前はクラロワを開発した「Supercell」が先に出していた、「クラッシュ・オブ・クラン(以下、クラクラ)」を3年間くらいやり込んでいて、新作がリリースされるから遊んでみようかなと。

――クラロワをやり込むようになったきっかけは?

RAD 始めた頃は、ずっと続けていたクラクラの方が面白くて、プレイする頻度も9:1くらいで、クラロワはあまりやっていなかったんです。でも、クラロワを一緒に始めた知り合いがライバルみたいな関係で、お互いに負けず嫌いだったので、競い合っていたらどんどん上達していって。自分が上手くなっていくのが楽しくなってきて、プレイする頻度の割合も入れ替わっていった感じです。

――上手くなるために特別な練習などはされましたか?

RAD その頃は遊びとしてやっていたので、特別な練習などは考えず、楽しいからやり続けていただけですね。ネットの攻略を探すとかも全くしなかったんです。ただ、友達には負けたくないっていう気持ちがあったので、ひたすらプレイ回数を重ねる中で、試行錯誤しながら強くなった感じです。

――そこからプロになるきっかけは何だったのでしょう?

RAD やっぱり大会の存在が大きいですね。当時、公式以外にも定期的に開かれる大会がいっぱいあったんですよ。その中には自分より強い人たちも沢山いるんですが、そこで勝つと、賞金や賞品として2,000~3,000円のプリペイドカードがもらえたりするんです。学生の頃って1,000円でもうれしいじゃないですか。賞金を稼ぐために毎晩大会に参加していましたね。そうして大会に出ているうちに、勝てる回数も増え、少しずつ知名度も上がっていきました。その頃は「賞金荒らしのRAD」みたいな肩書きをつけられていましたね(笑)。

――当時の賞品で一番うれしかったものは何でしょう?

RAD クリスマスに開かれた大会のものですね。クリスマスって、恋人がいたり、リアルが忙しい人は大会なんて参加できないじゃないですか。だから、「最強のクリぼっち」は誰かを決める大会だったんです(笑)。そこで見事優勝することができて、「最強のクリぼっち」の称号と、賞金6,000円くらいをもらった時が一番うれしかったですね。

――そうして実力と知名度を上げる中で、プロ選手となる経緯はどういったものでしたか?

RAD きっかけになったのは、高校3年生の時に日本一を決める公式大会が東京で開催されることになって、予選大会が5回開かれたんです。そこでポイントを貯めて、多い順から本戦に出場できるっていう仕組みだったんですが、1万人が参加する予選で、3回連続で優勝することができたことですね。今思えば、その時期の自分って、かなり強かったんですよ(笑)。その大会で活躍できたことで、その後開かれた日本プロリーグに参加していたFAV gamingさんのチームに声をかけていただきました。

――プロ選手になるお話が来て、どう思いましたか?

RAD 予選とはいえ、1万人が参加する大会を3ヶ月連続で優勝できるっていう、自分の力を発揮できている時に、ちょうどプロリーグが始まることになって。お声をかけていただいたので、せっかくなら出てみたいなと思いましたね。それに、本戦は結局ベスト8で負けてしまったんですが、勝ち残った上位2人は世界大会に出場できるっていうのを後になって知ったんです。海外の大会で、ステージの上で戦うなんて格好いいなっていう憧れもありましたし、自分も目指してみたいなと。