アナウンサーのキラキラした姿に憧れていた

――アナウンサーを目指そうと思ったのはいつ頃ですか?

別府彩(以下、別府) 大学に入学した頃です。ちょうど、女性のアナウンサーがタレントのような活動をはじめた頃でした。キラキラした姿に憧れ「私もなりたい!」とミーハーな気持ちで興味を持ちましたが、あまり現実的ではなかったですね。というのも、アナウンサーを目指す場合は大学1年生の頃からミスコンに出るなどして、ちゃんと計画を立てる人がほとんどですが、私は何の準備もせず……。テレビ局の採用試験も取りあえず受けただけで、当然ですが自分が希望する会社には採用されませんでした。

――大学卒業後はどんなことをしていましたか?

別府 イベントコンパニオンやキャンペーンガール、イベントのMCなどをしていました。オートレースの中継番組のアシスタントMCをさせていただくことになったんです。オートレースの知識はゼロでしたが、取材で得たネタやレースに出る前の選手の声を拾ってオンエアで伝えたり、レース後のインタビューをしたり、視聴者に興味を持っていただけるように自分なりに勉強しました。奥の深い世界で夢中になり、オートレースのお仕事はトータルで7年ほど続けました。

――その後、グラビア活動もしていますよね。

別府 はい(笑)。オートレースの番組がきっかけで、週刊ポストさんから「グラビアをやってみませんか?」とお声をかけていただきました。「騙されているんじゃないか、31歳の私のグラビアを誰が見るんだろう」とも思いましたが、これをきっかけに、仕事の幅が広がるかもしれないと思い、勇気を振り絞って決断することにしたんです。その後、写真集とDVDも出させていただきました(笑)。当時は、登録制の事務所に所属していましたが、仕事を増やすためにもホリプロに所属することにしました。

――事務所が変わって仕事の内容は変わりましたか?

別府 所属先をホリプロに移したからといって、すぐに仕事が舞い込むような甘い世界ではありませんでした。事務所のおかげでUSENのパソコンテレビのお昼の生番組のレポーターにレギュラー出演したり、ドラマの事件現場のリポーター役、TVやCMのナレーションなどのお仕事をいただいたりはしましたが、年齢と自分の実力不足により、仕事を広げることができませんでした。

――フリーのアナウンサーが仕事を広げるのは一筋縄ではいかない時代だったのですね。

別府 そうですね。今はSNSもあるし、メディアの種類も多いから、フリーで頑張る人も多いと思いますが、当時はマスメディアしかなかったので、なかなか思うようにはいきませんでした。