小さい頃から80年代の音楽が身近にあった

――8歳の頃にキッズモデルとしてキャリアをスタートされていますが、初めて歌手活動をしたのはいつですか?

武藤 小学6年生のときに、アニメ『絶対可憐チルドレン』(テレビ東京系)の主題歌を歌う期間限定のユニット「可憐Girl’s」のオーディションがあって、それに参加してメンバーに決まったのが歌のデビューです。私以外のメンバー2人は、その前からアクターズスクールなどでレッスンを受けている経験者でした。だから自分のできなさにすごく焦って、ダンスのときは泣きながらやっていたんです。そのときは辛かったですけど、二人よりも必死に頑張れたような気がします。今となっては、小学6年生という早い時期にそういう経験ができて良かったなと思います。

――その前から歌に興味はあったんですか?

武藤 聴くのは好きでした。両親が聴かせてくれていた昭和歌謡には馴染みがあったんですけど、自分が歌う側になるのは全く想像していなかったです。でも小さい頃から芸能の世界にいたこともあって、いろんなことにチャレンジしたい意欲はあったんです。だから、可憐Girl’sのオーディションにお声がけいただいたときは、「やってみたい!」って思いました。

――武藤さんは昭和歌謡に造詣が深いですが、ご家族の影響が大きかったんですね。

武藤 両親が80年代の曲を好きでよく聴いていて、特にお父さんは松田聖子さんのファンで、部屋にはポスターがいっぱい飾ってありました。その影響で、私も松田聖子さんに憧れるようになって。良い音楽を聴かせてもらって育ったので、耳は肥えているかもしれません。それが今やっている音楽にも繋がっていると思います。

――可憐Girl’sを経て、2010年4月からアイドルユニット「さくら学院」の結成メンバーに選ばれ、初代生徒会長(リーダー)に任命されます。

武藤 歌でやっていきたいなという気持ちが明確になったのは「さくら学院」に入ったのが大きかったです。最初から中学生でユニットを卒業することが決まっていたので、さくら学院を卒業した後はどうしようと考えたときに、自分は絶対に歌をやりたいと思いました。

――さくら学院には豪華なアーティストの方々が素晴らしい楽曲を提供していますよね。

武藤 本当ですよね。いい曲ばかりです。当時から仕事とは関係なく、プライベートでも一番聴いていました。

――当時、リアルタイムでヒットしている曲は聴いていましたか?

武藤 聴いていなかったですね。育った環境が特殊で、お父さんの仕事柄(※元騎手で調教師)、お馬さんと一緒に生活していて、あまり家で大きい音を立てられなかったんです。お馬さんは音に敏感なので、暴れちゃったりするんです。テレビの音も出せないほど馬優先の生活をしていて、音楽に触れるのは家族でカラオケに行ったときや車の移動中くらいでした。

――さくら学院卒業後、約1年間の準備期間を経てソロ活動を開始されます。

武藤 歌いたい気持ちがすごく強かったんです。ユニットからソロになる不安はあったんですけど、松田聖子さんが憧れである以上やるしかないなと。最初から諦めるよりも、やって何か見えてくることもあると思って挑戦しようと決めました。ただ、ユニットでやっていたものを1人で全部背負わなきゃいけないですし、歌唱力はもちろん、発言力も含めて一から勉強しなくちゃと思いました。だからこそ、すぐにデビューするのではなくて、1年間の期間をいただいて、スタッフさんたちと自分のアーティスト像などを相談しながら、レッスンを受けていたんです。

――高校時代はどのように過ごしていましたか?

武藤 ソロ活動を始めるまでの1年間は、しっかり学校に行って、空いている時間でレッスンを受けていました。仕事を再開してからも、芸能科だったので仕事を優先させてくれました。周りには芸能活動をしている子も多かったんですけど、学校では仕事の話をせず、プライベートで仲良くなれる友達もいっぱいできたので楽しかったです。

――ソロ活動を始めた当初から、80年代の女性アイドル楽曲を現在に再生させるコンセプトのソロプロジェクトを行っていましたが、武藤さん自身の意見も反映されていたんですか?

武藤 80年代が好きというのは伝えていました。当時は自分の意志というよりも、私がやりたいことだけを伝えて、それを形にしていただいたものを歌うという感じでした。当時は若かったこともあって、やりたいことがあっても、どう伝えたらいいかがわからなかったんです。それが年齢を重ねて、いろいろ経験していくにつれて、明確に自分がやりたいものが見えてきたことで、きちんと伝えられるようになってきたと思います。今は自分の意見をメインに作っている感じですね。