映画製作を決断して会社に直談判

――映画『春』はどういうきっかけで作られたのでしょうか?

大森 CMの仕事を始めて7~8年目の頃、大学時代に一緒に住んでいたおじいちゃんが亡くなって、悲しいというよりも、自分もいつか死ぬんだなと思ったんです。当時は鬱々としながら働いていたこともあって、それを題材にした話を書いてみようと脚本を書きはじめました。CMの仕事は楽しいけれど、自主的に企画を作ることはないし、モノを売ることが一番の目的だったりする。映像が好きでこの世界に入ったけれど、自分のことがどんどん嫌いになっていく諦めもありました。このモヤモヤをどうしようかと悩んでいた時に、自分で映画を作ってみようと思ったんです。

――脚本を執筆したのはいくつのときですか?

大森 書き始めたのは29歳くらいです。脚本を書きたいというよりは、その時は仕事が忙しかったこともあって苦しくて、ちょっと鬱になりかけていました。 なんとなくこなせるようになったけど、自分はこのままでいいのかなと。誰にでもそういう時期ってあると思うんです。自分が腐っていくんじゃないかという不安もあって、90分ぐらいの長編映画を作るために脚本を書きました。会社には「たくさん賞を獲る映画を作るので、予算を少し出してくれませんか」と持ちかけました。

――自主制作ではなく、会社に持ちかけるところがすごいですね。

大森 そういった気持ちに寄り添ってくれる、素晴らしい会社だと思います。CMとは全く関係のない映画なんですけど、「これが後々会社とお前のためになることだったらいいよ」という感じで稟議が通りました。もちろん自分でも半分お金を出したんですけど、お金の面を考えると短編映画が精一杯でした。短編映画でもいいから作らなきゃと思って、フィルムコミッションに脚本を持っていって、ロケ地を貸してもらったりしながら、いろんな人に声をかけて作っていきました。

――かなりスピーディーに進んだんですね。キャスティングはどのように決められたんですか?

大森 映画事業部のプロデューサーが「デビューしたてのいい子がいるよ」と教えてくれて、その時にデビューしたての古川琴音さんの宣材写真を見たんです。それがちょっと異様だったんですよ。ちょっと斜に構えて、こちらを睨んでいるような、めちゃめちゃかっこよくて吸い込まれるような宣材でした。実際に会った時も古川さんに圧倒されました。当時、古川さんは大学生で、舞台演劇をやっていて。事務所に入ったばかりだったんですけど、会った瞬間に「よろしくお願いします!」って私から言いました。撮影現場でも全幅の信頼をおいていました。古川さんにこちらが助けられることが多かったです。

――古川さんに『春』についてインタビューした際、「大森監督は思い出を共有してくださった」と仰っていたのが印象的でした。

大森 CMは2秒単位でカットが変わっていくので、この時はこういう動きで、こういうポーズって細かく決め込むことも多いんです。でも映画は、どう動くか、どうセリフを言うかじゃなくて、どういう念を残すかが大事なんだろうなと。これまでたくさんの映画を観ていく中で、この人が何を思っているのかを、いかに映像で滲ませられるかが映画なんだろうなと思いました。だからおじいちゃん役の花王おさむさんと古川さんには、こう動いてくださいってことは一切言わずに、「このときはこういう気持ちだったけど、古川さんはどうですか?」という風な話を細かくしました。

――映画を撮る上で一番に意識したことを教えてください。

大森 核となるシーンを中心に考えることです。『春』なら最後のシーン、『リッちゃん、健ちゃんの夏。』なら教会でプロポーズするシーンですが、このシーンをこう撮ると決めたら、そこに合わせて、主人公がどういう気持ちになっていくか、どういうロケ地がいいかを考えました。CMの場合は全部が完璧に決められているし、それをスポンサーさんやクライアントさんにも確認して進んでいくんですけど、映画は核のシーンだけ決めて、それに合わせて気持ちをどう作っていくかを大切にしました。

――撮影スタッフもCM制作のメンバーだったんですか?

大森 全員CMの人です。CMをやりながら、映画が大好きで映画をやりたいと思っている人たちばかりだったので、そういう思いが表れて良かったと思います。

――ライティングやカメラの動きなど、あらゆる面でCMとは違いますよね。

大森 そうですね。みなさん映画の経験はそんなになくて、自主映画をちょっとやったことがあるぐらい。でも、いつもCMで一緒に仕事をしている人たちと映画を作れることが楽しくてしょうがなかったですし、どういう風に作っていこうかって考えるのも楽しかったです。これを機に、映画の世界でも活躍するようになった人も多いです。