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広い範囲で自由に挑戦させてもらえる環境

―現在の主な担当番組を教えてください。

瀧山 『WinTicket ミッドナイト競輪』という競輪番組と、『ABEMABOATRACE CAMPUS「教えて!クロちゃん先生〜」』『ABEMABOATRACE CAMPUS「勝負駆け!笑いのターンマーク!」』というボートレースの番組を主に担当しています。また『熱闘!Mリーグ』という麻雀番組ではナレーションを担当していて、そのほかにもバラエティやYouTube、サイバーエージェントの系列会社が運営している「新R25」のCMにも出演しました。

―どのように担当番組は決まるのでしょうか?

瀧山 「ABEMA」の制作局からアナウンス室に依頼があって、そこから決まっていきます。

―「ABEMA」の制作局からでは数多くの番組を手掛けていて、ジャンルも多岐にわたります。準備は大変なのではないでしょうか?

瀧山 毎日、ノートとペンを持って勉強しています。先ほどお話しした番組で言うと、競輪もボートレースも全く知らなかったので一から勉強しましたし、麻雀に関しては麻雀教室にも通いました。今日も夜から競輪番組の生放送がありますが、事前に前日のレース情報や選手情報を調べていました。この後、関係者と内容の打ち合わせをしてから、リハーサルに入ります。

―2018年4月にアナウンス室が始動したばかりですが、新しい部署だからこその大変さとやりがいを教えてください。

瀧山 部署が始動してこの4月で4年目になるのですが、「ABEMA」専属アナウンサーの1期生として、自分たちにできることは何かを考えるのが大変なことです。でも、逆に言えば、広い範囲で自由に挑戦させてもらえる環境なので、そこにやりがいも感じます。番組を担当しながら、同時進行でアナウンス室や「ABEMA」専属アナウンサーの形をどう作り上げていくのか考えるのは楽しいです。

―ご自身の中で、特に成長できたなと感じる番組は何でしょうか?

瀧山 『WinTicket ミッドナイト競輪』です。ほぼ毎日3時間の生放送で、芸人さんと女性ゲストを迎えて進行しています。長時間の生放送は毎日が勉強で、日々の成長に繋がっています。

芸能活動を諦めて大学進学を選択

―瀧山さんは高校時代、NMB48の2期生として活躍されていましたが、芸能界に入ろうと思ったきっかけを教えてください。

瀧山 小嶋陽菜(元AKB48)さんの大ファンで、中学生の頃から握手会などのイベントに行っていました。もっと近づきたいという理由で高校1年生の終わりにNMB48のオーディションを受けました。芸能活動をしたいというよりも、ファンとして仲良くなりたい気持ちのほうが強かったです(笑)。

―歌やダンスの経験はあったんですか?

瀧山 AKB48さんを真似して歌ったり踊ったりすることは好きでしたが、本格的に習ったことはありませんでした。他のメンバーも同じで、みんな普通の学生から急にアイドルになる子が多かったので、そこから努力を重ねて頑張った子が花咲く世界でした。

―芸能活動をするにあたって家族の反対はありましたか?

瀧山 なかったです。すごく応援してくれました。勉強も含めて、「こうしなさい」と全く言わない親で、なんでも自由にやらせてくれました。

―芸能活動が忙しくて、学校と仕事の両立は大変だったのではないでしょうか?

瀧山 授業は午前中だけ受けて帰る日もありましたし、お仕事が終わってから学校に行って、最後の授業だけ受ける日もありました。学校行事も、文化祭、体育祭、修学旅行と、全て参加できませんでした。なかなか学校の友達ができなくて、クラスでは少し浮いていたと思います。芸能活動を優先して芸能コースがある学校に転入したメンバーもいましたが、私はこのまま芸能活動を続けるのかどうか迷いもあったので、普通の高校に通ってました。

―勉強の時間はどのように確保していましたか?

瀧山 学校に行けるときは友達に教えてもらったり、ノートを借りたり。あと芸能活動に理解のある先生がいて、補習を受けることもありました。

―瀧山さんは高校3年生でNMB48を卒業、大学進学の道を選びます。進路選びに葛藤はありましたか?

瀧山 ありました。私の通っていた高校は大学の付属なのですが、みんなが進学できるわけではありませんでした。学校側からは、「この出席日数と成績でこのまま芸能活動を優先するなら大学には行かせられない」と言われました。ただ、指摘される前から、自分の中で大学進学の意志は固まっていたと思います。NMB48で活動をしていた約1年間で、努力しても一番になれないぐらい厳しい世界だと気付きました。高校卒業後、芸能活動を続けるのか、勉強して違う道に進むかを考えたときに、後者の選択に傾いていました。最終的には、大学を見に行ったときに、大学生活をイメージできたことが決め手になりました。母親からも「どっちの道を選んでもいいよ」と言われて、大学に行く決心をしました。

―芸能活動に心残りはなかったんですか?

瀧山 最初はありました。グループが上り調子のときに辞めてしまったので、NMB48のみんながテレビで活躍している姿を観ると、なんでここに自分はいないんだろうという喪失感もありました。

「ABEMA」の面接前に準備を完璧にできたことが自信に繋がった

―アナウンサーになりたい気持ちはいつ頃からあったんですか?

瀧山 小さい頃から毎朝、『おはよう朝日です』(ABCテレビ)や『めざましテレビ』(フジテレビ系)を観ていたので、女性アナウンサーの方が「身近にいるお姉さん」的な存在として映っていました。人前でしゃべるのが大好きだったので、小学生の頃からぼんやりとアナウンサーに憧れがありました。

―大学時代に芸能活動を再開されます。何かきっかけはありましたか?

瀧山 大学1年生のときに『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』(関西テレビ)という番組のオーディションを受けて、アシスタントをやっていました。後日、番組を見ていた事務所の方から声をかけていただいて、本格的に芸能活動を再開しました。大学生活は長いので、就職活動までは後悔しないようにやりたいことはすべてやろうと思っていて、その一つが芸能活動を再開することでした。

―主にどんな活動をされていましたか?

瀧山 モデル系の事務所だったので、「TGC」や「関コレ」(関西コレクション)に何度か出させていただきました。一番大きかったお仕事は2年間、ラジオのスポーツ番組を担当させていただいたことです。プロのアナウンサーの方々の中に私がいたんですけど、当時はアナウンス技術も全くなくて。「ありのまま思ったことを話していいよ」という優しい環境でしたが、あまりにも下手過ぎたので、みなさんに教えてもらいながら続けさせていただいて、伝えることの難しさを痛感しました。そのお仕事を通じてアナウンサーになりたい気持ちが強くなって、大学3年生の初めからアナウンス学校に通い始めました。

―「ABEMA」の入社試験を受けた経緯を教えてください。

瀧山 私の中で「東京に行ってアナウンサーになりたい」という気持ちが一番にありました。東京でアナウンサーになれなかったら、他の仕事に就こうと考えていました。キー局だけに絞って頑張っていたんですけど、残念ながら全て落ちてしまいました。アナウンサー以外の職業に就こうと思って就活をして、何社か内定もいただいていました。入社する会社を考えていたときに、アナウンス学校の先生から「ABEMA」が専属アナウンサーを募集するらしいと聞きました。すでに大学4年生の7月でしたが最後のチャンスだと思って受けました。

―振り返ってみて、どうして合格したと分析されますか?

瀧山 アナウンス学校に通って、キー局の面接も経験して、内定もいくつかもらっていました。120%準備ができている状態で面接に臨めたのが大きかったと思います。準備ができていることが自信にも繋がりました。面接でも全てを出し切ろうと思って、堂々と自己アピールすることができました。

―最後に読者の高校生にメッセージをお願いします。

瀧山 高校生のうちに、いろんな挑戦をするべきだと思います。私は現在26歳ですが、今も期限を付けずに、他に挑戦できることはないかと考えています。たとえ、その挑戦が失敗だったとしても、その過程で出会った人たちや経験が後々の財産になるので、臆せず興味のあることに飛び込んでみてください。

瀧山あかね(たきやま あかね)

「ABEMA」専属アナウンサー

1994年5月10日生まれ。兵庫県出身。関西学院大学文学部卒業。高校時代にNMB48のメンバーとして活動。大学時代も芸能活動を行い、2018年4月より「ABEMA」専属アナウンサーとなる。

Photographer: Atsushi Furuya,Interviewer: Takahiro Iguchi