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アンダーグラウンド感とポップさの融合

――甲田さんはジャズピアニストとしてキャリアをスタートし、2018年のデビュー作『PLANKTON』もピアノ・トリオ編成のアルバムでした。縮小傾向にある日本のジャズシーンで、当時17歳、しかも正攻法のジャズでデビューしたのは驚きでした。

甲田 私自身、ジャズのアルバムを出すつもりはなかったんです。ジャズはストイックな世界で、年齢を重ねれば重ねるほど技術が上がる音楽だと思っています。なので、最初は若い年齢で作品を残すことに抵抗があって。でも、お話をくださった方が、すごく私を評価してくださったのと、ドラムで参加していただいた石若駿さんに相談させていただいたら、「若いときしか出せない音が自分にもあったから、作品を残しておくという意味でもいいんじゃないか」と言ってくださって。そこで私も17歳の記録として残そうという考え方に変わりました。

――ジャズは”うるさ型”のリスナーも多いですが、リリース後の反応はいかがでしたか?

甲田 面白がってくれました。ジャズ好きの方は、私が主にやっていたジャンルのビバップ好きが多いと思うんですが、しっかりとジャズの基礎的な部分を真正面からやっているのがいい、すごく聴きやすいという感想をいただけました。

――『PLANKTON』には「プランクトン」「マイ・クラッシュ」と2曲のオリジナル楽曲が収録されていますが、後者はヒップホップ的な要素も感じました。

甲田 当時はヒップホップにハマり始めた時で、ロバートグラスパーなど、生の演奏にヒップホップを落とし込んでいるアーティストたちもよく聴いていました。自分も音楽活動をしていく上で、今やりたいこと、今後やりたいこと、どちらも取り入れないとリリースする意味がないと思い、意識的にヒップホップの要素を取り入れました。

――ジャズのサンプリングを多用したトライブ(ア・トライブ・コールド・クエスト)も好きなんですよね。

甲田 めちゃめちゃ影響を受けています。セカンドアルバムの『ロウ・エンド・セオリー』は特にジャズ要素強いですよね、革命的なアルバムだと思います。

――トライブに代表される90年代のヒップホップに惹かれる理由は何でしょうか?

甲田 ジャズに出会ったときも、きれいな演奏をするピアニストよりも、セロニアス・モンクやバド・パウエルなど、尖った演奏をするピアニストに惹かれました。録音状態が悪いものや、ピアノを弾くときに思わず出る声なども人間味があって好きで。90年代のヒップホップのいなたさ、異様な音圧の出方などもドンピシャでした。もちろん新しい音楽も好きですけど、やっぱり90年代のヒップホップに戻っちゃうところはあります。

――今回リリースしたシンガーソングライターとしてのデビュー作『California』の表題曲も、トライブや、その一派であるJ・ディラに通じるスモーキーな音が印象的でした。

甲田 歌をやりたいってなった時点で、ファッションとか見た目もポップにして、それに合ったポップな音楽をやりたいと思っていました。でもそれをど頭からやっていくと客観的にみた時に逆効果なのではないかと思い、自分が好きな煙たさがありつつ、いかに今までとは違うことができるのかを考えました。マイナーなサウンド、アンダーグラウンドが好きという根底は残しつつ、歌詞やコード感はポップな部分があったら面白いのではないかなと思って、どちらの要素も取り入れました。

――「California」はK-POP的なポップさも兼ね備えていますが、K-POPを聴きはじめたのはいつ頃ですか?

甲田 ここ1年です。昔からK-POPブームでしたけど、特に最近はすごいじゃないですか。市場もすごいし、最先端の音楽なので、無意識に聴いて「かっこいい」なって。アイドルであり、攻めた音楽をやっていて、それがウケていて、一気にハマりました。いろんなアーティストを聴くんですけど、aespa やBLACKPINK、TWICEなどは曲もめちゃめちゃいいので、常に楽しみにチェックしてますね。

――曲の中盤ではラップも披露しますが、以前からラップもやっていたんですか?

甲田 フリースタイルの練習とかはしたことなかったんですけど、Q-Tip やカニエ・ウェストが好きだったのでラップ自体はひたすら聴いていました。だから自分がやることに違和感はなかったし、曲を出すときは絶対にラップはやりたいと思っていました。

――カップリング曲の「Love My Distance」は、どのように生まれたのでしょうか?

甲田 去年書いた曲なんですけど、最初にイントロの短いベースのループから思いついて、そこにコードを置いて。そのときは二十歳になる手前だったので、そういう心情を残しておきたくて英語で歌詞を書きました。そして今回、『California』の制作をする中で過去に作ったデモを聴き直して、「Love My Distance」の雰囲気が一番合うなって思ったんです。ただ今の気分だと“二十歳”というテーマが今さら?と思ったので、もともとあった英語の歌詞に合う日本語を探すうちに、「ひっぱる」という冒頭の歌詞が浮かんで、そこから「赤い糸」という単語が思いついて、“距離”をテーマにした歌詞に繋げていきました。

――今回プロデュースを手掛けたGiorgio Blaise Givvn氏は、どのような経緯で起用したのでしょうか?

甲田 元々数年前にオカモトレイジ君(OKAMOTO’Sのドラマー)が私のことをGivvnに話していて、数年前に実際に紹介してくれたんですけど、Givvnとは音楽の趣味が合い、すぐに意気投合しました。彼自身がミュージシャンでラッパー、もともと外に出る側の人間なので、自分で作るサウンドはオリジナリティがあって今っぽいんですけど、90年代のヒップホップマニアという根底にあるものが共通していて。私は『PLANKTON』をリリースしたときから、「歌をやりたい」って言い続けていたんですけど、1人でビートを完成させる作業はやったことがなかったんです。でもアコースティックでやりたい訳じゃなかったので、誰かと一緒に作りたいと。それで彼に「歌って踊れる曲をやりたい」と何気なく伝えたら、何の違和感もなく「ああ、いいじゃん。やろう」みたいな感じで最初から乗り気だったので、「理解してくれる人がいるんだ」ってすごく嬉しくて。そこから準備を進めていくうちに、自然と共同作業をすることになりました。

小学生の頃から母とジャズクラブに通っていた

――音楽遍歴についてお伺いします。5歳からピアノを始められたそうですが、明確に音楽を仕事にしていきたいと思ったのはいつ頃ですか?

甲田 7、8歳のときにジャズに出会って、お母さんと図書館でCDをたくさん借りてきて聴いてるうちに、ジャズピアニストになりたいと強く思うようになりました。それで10歳からジャズのレッスンに通いながら、お母さんと一緒にジャズクラブに行き始めました。

――同世代でジャズを聴く人はいましたか?

甲田 ジャズを聴く人自体が少ないので、学校にはいなかったです。

――孤独感みたいなものはありましたか?

甲田 ジャズをやること自体に夢中だったので、そこまで仲間を作ろうとか、共感を得たいというのはなくて、大人に交じって成長していきたいなという感じでした。その後、都内でライブをするようになって、同世代でジャズをやっている子にも出会えて、だんだん仲間がいることの楽しさも分かっていくんですけど、そのときは考えてなかったですね。

――小・中学生でジャズクラブに出入りするのも珍しいですよね。

甲田 中央線沿いってめちゃめちゃジャズが盛んで、吉祥寺SOMETIME、荻窪ベルベットサン、アケタの店などに夜な夜な行って、ひたすら観る、みたいな。みんな自分の子どもみたいに接してくれて、面白がってピアノを弾かせてくれたり、教えてくれたりして。今でもミュージシャン仲間として繋がっています。

――甲田さん自身がライブをするようになったのはいつ頃ですか?

甲田 中学3年生ぐらいです。緊張するタイプなので、「全力で楽しめた」「今日の演奏は完璧だった」みたいな良かったライブの記憶がなくて、毎回、自分の中で納得できるレベルに行けなかったのが悔しくて、ジャズのライブは反省のほうが多かったです。どうやって自分の弱点を克服しようかと、いつも考えていました。

――ジャズクラブでは、飛び入りでセッションに参加する光景も珍しくないですが、甲田さんも飛び入りのセッションはやっていましたか?

甲田 曲を知らなかったり、弾けなかったりしたら怖いじゃないですか。なので、なかなか参加できなくて。でも高校生になって、勇気を出して参加するようになってからは、めちゃめちゃハマりました。

――その頃にはオリジナル曲も作っていたんですか?

甲田 ジャズのオリジナル曲は作っていましたし、曲作りも大好きでした。もともと音楽教室に通っていて、そこで作曲コンクールがあって、半ば強制的に参加しなきゃいけなかったんです。そのときに作曲や楽典などを学んでいたので、いずれオリジナル曲を作ろうという気持ちは小さい頃からありました。その経験は今も活きていますね。

――音楽活動の一方で、小学6年生のときに始めたInstagramをきっかけにファッションスナップサイトでブロガーデビューをします。どうしてInstagramを始めようと思ったんですか?

甲田 物心ついたときからファッションが好きで、イラストを描くのも好きだったので、遊び程度でファッションのデザインも描いていました。ただジャズと出会ってからはピアニストになりたかったので、ファッションは仕事にしなくていいやと思ったんです。Instagramは私服の写真を上げられる場で、それをみんなに見てもらえる。それが嬉しくて、自分の好きなものを上げていたら偶然ファッションの仕事に繋がったんです。もともと好きなことなので楽しくて、ピアノと並行しながら、ファッションの仕事もするようになりました。

――セロニアス・モンクのファッションにも影響を受けたそうですが、昔からトレンドに左右されないファッションを意識していたんですか?

甲田 もちろん新しい服も着たいですし、トレンドにも敏感だったんですけど、同時に人と被らないためには古着を着るっていう選択肢もあったので古いファッションも好きで。そんな時出会った、渋い格好でピアノを弾いていたモンクには惹かれました。女の子だけど男の人っぽい格好をするというのも昔から好きです。

――現在、日本のジャズシーンにおしゃれさは希薄な気がしますが、そのイメージを変えたいという意識はありますか?

甲田 あります。そもそも何かきっかけがないと、なかなか若い子にジャズを聴いてもらえないので、その入り口になれたらいいなと思いますし、私にできることがあったら嬉しいですね。

ジャズの本場ニューヨークで現地習得

――早くから音楽、ファッションと活動をする中で、学業との両立はどうされていましたか?

甲田 両立したかったのですが、勉強が得意じゃなかったので常に

音楽を優先していました。ただ、英語は大好きで、洋楽も好きだったし、海外への憧れもあって、どんどんハマっていきました。ジャンポール・ゴルチェなどにインタビューするファッションの仕事もあって、海外の人と交流する機会も多かったので、英語を話すのも抵抗はありませんでした。ジャズピアニストとしてニューヨークに行きたかったので、英語ができないと話にならないなと思っていたんです。夢に繋がる英語の勉強だけは頑張りました(笑)。

現地ではおすすめのジャズスポットを調べて、2人でジャズクラブに行って、現地習得みたいな感じで勉強をしました。

――ジャンポール・ゴルチェみたいな大御所をインタビューするときにプレッシャーはありましたか?

甲田 人と話すのが大好きなので躊躇はなかったです。当時の私は若過ぎたので、どうしていいか分からない部分も多かったんですけど、周りも年齢のギャップを面白がって呼んでくれているので、楽しむしかないなという気持ちでやっていました。

――高校は通信制を選んだそうですね。

甲田 ギリギリまで悩んだんですけど、仕事もしていましたし、留学したい気持ちもあったので、通信制を選びました。ただ仕事が忙しくて長期の留学は難しかったので、カナダに一人で二ヶ月語学学校に通ったり、お母さんとNYに行ったり。

――日本のジャズクラブとは違いますか?

甲田 ジャズの本場なので、昔からのストイックさがバチバチに残っているんです。セッションにしても魂の込め方が違って、飛び入り参加した学生も必死に食らいついていくんですよね。できないとステージを降ろされることもあるらしくて、すごい緊張感でした。私も毎回参加していたんですけど、一回うろ覚えの曲があったんです。そのときにスマホでコードを調べようとしたら、「スマホ見るんだ?」みたいな感じに言われて、演奏も心もボロボロになりました(笑)。でもステージに立たないと始まらないので、その後もセッションに参加して。もっと頑張らなきゃ!ってお尻を叩かれた感覚でした。

――高校3年生のときにはバークリー音楽大学にも短期留学をされたとか。

甲田 18歳になった夏にサマープログラムの奨学金をもらって1ヶ月だけ行きました。ニューヨークに比べて雰囲気は穏やかでしたが、授業は厳しかったです。覚えている音楽用語も英語だとまた違うので、そこにも苦労しました。ただ世界中から若いミュージシャンが集まって、一緒に音楽理論を学ぶ経験は貴重でした。どうしても最初は同じ人種で固まりがちなんですけど、セッションした瞬間に「イエー!」って感じで距離が縮まって、すぐに仲良くなれました。

――さらに2019年に出演した映画『台風家族』を皮切りに、俳優の仕事も始めます。もともと演技に興味があったんですか?

甲田 その当時、私は一つのジャンルに絞って仕事をしていなく、音楽以外に興味のあることとして「映像の仕事をしたい」とずっと思っていたら偶然演技のオファーをいただき、新しいチャレンジとして受けさせていただきました。

――それまで演技経験はありましたか?

甲田 なかったです。レッスンを受けたこともありません。オーディションのときに、「感情を入れないで、とりあえず台本の文字を読んでください」と言われたんですけど、演技力がどうこうではなく、おそらく役の雰囲気に自分がハマったんだと思います。実際の撮影でも、私も含めたキャストたちに「全員基本は本人として入ってください」という指示がありました。最初の現場がそういう部分を大切にしてくださる監督とだったので、自然に演じられたのかなと思います。

――今後も演技への意欲はありますか?

甲田 今はやってないんですけど、やっぱり現場は楽しいんですよね。なので、もう一回映画に出たい気持ちはあります。ただ今は音楽が最優先なので、ライブをやりたい気持ちが一番です!

――最後に、進路を検討しているティーンにメッセージをお願いします。

甲田 私自身、常に手探りで不安を抱きながらやっています。でも、それをマイナスに捉えるのではなく、新しいことにチャレンジしている証拠だと思って、そこから絶対に何かが生まれると思ってやってきました。なので、不安なことや嫌なことを恐れずに、その感情を大事にしながらプラスに考えて、自分のやりたいことにチャレンジしてください。

Information

1st DIGITAL EP『California』
2021年11月5日リリース

M1. California
M2. Love My Distance
M3. California.pf
M4. California_demo@201113

公式サイト

甲田まひる

シンガーソングライター

シンガーソングライター、ファショニスタ、ジャズピアニスト、俳優。2001年5月24日生まれ。小学6年生のときに始めたInstagramをきっかけにファッションスナップサイトでブロガーデビューし、ファッションアイコンとして業界の注目を集め、ファッション誌の連載やモデルとして活躍。そして、幼少期から都内ライブハウスを中心にジャズピアニストとしての活動も行い、2018年にジャズアルバム『PLANKTON』を発表。2019年には映画『台風家族』を皮切りに俳優としての活動もスタートするなど様々な方面で活躍している。2021年、シンガーソングライターとしてワーナーミュージック・ジャパンよりデビュー。

Photographer:Toshimasa Takeda,Interviewer:Takahiro Iguchi