小学生の頃から母とジャズクラブに通っていた
――音楽遍歴についてお伺いします。5歳からピアノを始められたそうですが、明確に音楽を仕事にしていきたいと思ったのはいつ頃ですか?
甲田 7、8歳のときにジャズに出会って、お母さんと図書館でCDをたくさん借りてきて聴いてるうちに、ジャズピアニストになりたいと強く思うようになりました。それで10歳からジャズのレッスンに通いながら、お母さんと一緒にジャズクラブに行き始めました。
――同世代でジャズを聴く人はいましたか?
甲田 ジャズを聴く人自体が少ないので、学校にはいなかったです。
――孤独感みたいなものはありましたか?
甲田 ジャズをやること自体に夢中だったので、そこまで仲間を作ろうとか、共感を得たいというのはなくて、大人に交じって成長していきたいなという感じでした。その後、都内でライブをするようになって、同世代でジャズをやっている子にも出会えて、だんだん仲間がいることの楽しさも分かっていくんですけど、そのときは考えてなかったですね。
――小・中学生でジャズクラブに出入りするのも珍しいですよね。
甲田 中央線沿いってめちゃめちゃジャズが盛んで、吉祥寺SOMETIME、荻窪ベルベットサン、アケタの店などに夜な夜な行って、ひたすら観る、みたいな。みんな自分の子どもみたいに接してくれて、面白がってピアノを弾かせてくれたり、教えてくれたりして。今でもミュージシャン仲間として繋がっています。
――甲田さん自身がライブをするようになったのはいつ頃ですか?
甲田 中学3年生ぐらいです。緊張するタイプなので、「全力で楽しめた」「今日の演奏は完璧だった」みたいな良かったライブの記憶がなくて、毎回、自分の中で納得できるレベルに行けなかったのが悔しくて、ジャズのライブは反省のほうが多かったです。どうやって自分の弱点を克服しようかと、いつも考えていました。
――ジャズクラブでは、飛び入りでセッションに参加する光景も珍しくないですが、甲田さんも飛び入りのセッションはやっていましたか?
甲田 曲を知らなかったり、弾けなかったりしたら怖いじゃないですか。なので、なかなか参加できなくて。でも高校生になって、勇気を出して参加するようになってからは、めちゃめちゃハマりました。
――その頃にはオリジナル曲も作っていたんですか?
甲田 ジャズのオリジナル曲は作っていましたし、曲作りも大好きでした。もともと音楽教室に通っていて、そこで作曲コンクールがあって、半ば強制的に参加しなきゃいけなかったんです。そのときに作曲や楽典などを学んでいたので、いずれオリジナル曲を作ろうという気持ちは小さい頃からありました。その経験は今も活きていますね。
――音楽活動の一方で、小学6年生のときに始めたInstagramをきっかけにファッションスナップサイトでブロガーデビューをします。どうしてInstagramを始めようと思ったんですか?
甲田 物心ついたときからファッションが好きで、イラストを描くのも好きだったので、遊び程度でファッションのデザインも描いていました。ただジャズと出会ってからはピアニストになりたかったので、ファッションは仕事にしなくていいやと思ったんです。Instagramは私服の写真を上げられる場で、それをみんなに見てもらえる。それが嬉しくて、自分の好きなものを上げていたら偶然ファッションの仕事に繋がったんです。もともと好きなことなので楽しくて、ピアノと並行しながら、ファッションの仕事もするようになりました。
――セロニアス・モンクのファッションにも影響を受けたそうですが、昔からトレンドに左右されないファッションを意識していたんですか?
甲田 もちろん新しい服も着たいですし、トレンドにも敏感だったんですけど、同時に人と被らないためには古着を着るっていう選択肢もあったので古いファッションも好きで。そんな時出会った、渋い格好でピアノを弾いていたモンクには惹かれました。女の子だけど男の人っぽい格好をするというのも昔から好きです。
――現在、日本のジャズシーンにおしゃれさは希薄な気がしますが、そのイメージを変えたいという意識はありますか?
甲田 あります。そもそも何かきっかけがないと、なかなか若い子にジャズを聴いてもらえないので、その入り口になれたらいいなと思いますし、私にできることがあったら嬉しいですね。