僕たちの世代はSNSど真ん中の世代なので人ごとじゃない
――『スパゲティコード・ラブ』の脚本を読んで、どういった印象を持たれましたか?
清水 群像劇というか、いろんな人が出てきてそれぞれの独立したストーリーがある作品に出させてもらうことがこれまでなかったので、新鮮な気持ちでした。完成までほかの人の芝居を見ることが一切なかったし、現場でもほとんどお会いしていなかったので、そういった意味でもどうなるのかわからない楽しみというか、わくわく感がありました。僕の役は現代ならではの孤独感みたいなものを抱えているキャラクターで、特に僕たちの世代はSNSど真ん中の世代なので人ごとじゃないなと思いましたね。
――清水さんが演じた慎吾について、どういった部分で「人ごとじゃない」と思われたのでしょうか?
清水 彼のSNSにはフォロワーが何千人といるんですけど、いざというときに助けを求めたら全員が手を差し伸べてくれるかというと、そうではない。今の時代はいわゆる人の目につく仕事をしている人ではなくても、普通の大学生が5万人、10万人フォロワーいることだってあるじゃないですか。だから人との繋がりがたやすくなってきているというか、ハードルが低くなってきている部分もあると思っていて。繋がりが広がったり、コミュニケーションやコミュニティを広げるという部分ではすごくいい時代だとは思うんですけど、それがゆえに関係性の軽薄さみたいな部分が浮き彫りになることも多い。そういった部分で、彼を見ていると露骨に時代が出ているのかなと感じました。
――ノマド生活をしているなど、慎吾のバックグラウンドについてはどう捉えていましたか?
清水 「何にも執着しない」という、彼の人生のテーマのようなものが前提にあったんです。例えば何かを失ったり思い通りにいかなかったときに喪失感を得たり、自分に負担になるなら、ハナから執着しなければイヤな思いをしなくて済むからだと思います。ただ心のどこかではそういった理屈っぽいところに反発する感情があって、それゆえの孤独感を感じていて。でもそれを認めたくないから理屈で壁を作っているわけで。そういう細かい感情の流れみたいなものは、分析じゃないですけど考えるプロセスがありました。
――監督と役について話すことはあったのでしょうか。
清水 慎吾は性格的に気難しい人間で、でもネガティブすぎてもよくないなと思ったし、彼の理屈っぽいところだったり、理屈じゃどうしようもならないみたいな部分をどこかでわかっている、そういう塩梅みたいなものはその都度、監督と相談しました。あとは「ここで立ち上がって」「このタイミングで歩き出して」という基本的な指示もあれば、手の寄りのときに「この指を動かしてほしい」という細かい動きまでディスカッションをしながら、丁寧に作っていったという感覚です。
――そういった細かい動きへの指示で、役を掴んだ部分もあるのでしょうか?
清水 身体的な動きに関しては画(え)的な問題もあるだろうと、ある程度割り切っている部分が演じる側としてはあるんです。でも慎吾だと特に、顔に出ない部分があると思うんですよ。ちょっとした手の震えだったりとか、そういった部分に彼の本当の感情のようなものが表現されていたりするのかなと思います。
――慎吾の元恋人・心を演じた三浦透子さんとのシーンが多かったですが、共演はいかがでしたか?
清水 すごく楽しかったです。もともと面識はあったんですけど、がっつり共演するのは初めてでした。年上の先輩なので胸を借りる思いでしたね。現場でもすごく気さくだったし、芝居の温度感も心地よかったので楽しくやらせてもらいました。
――慎吾と心の関係はどう感じられましたか?
清水 難しいですよね、あの2人も。結局、好きなんでしょうね。忘れられないというか、不思議な関係性だなとは思いますけど。2人は結局、ずっと近くにいる関係性ではあるのかなとは感じました。ただの元カレ・元カノという関係性だけではない部分があるんじゃないかなと思います。
――たくさんの登場人物がいてそれぞれにエピソードがある中で、見る人によって刺さる部分は違うと思います。清水さんはどのキャラクター、エピソードが印象に残りましたか?
清水 僕の職業柄もあると思うんですけど、カメラマンの翼ですね。ちょっと立場は違いますけど、同じ業界を描いていて、夢は持っているけれども報われない人間もたくさんいて。僕は、東京という場所は夢がたくさん詰まっているけれど、その分たくさんの夢が踏みにじられている残酷な場所でもあると思うんです。そういう街に僕も生きているという意味で、人ごとと思えないというか。生々しいなとは思いつつも、自分もどこかで気付かないうちに人の人生に関わっている可能性だってあるし、すぐそばにこんな人生があってもおかしくないんだろうなというのは感じましたね。だからリアルな刺さり方をしたのかなと思います。
――完成した作品をご覧になって、台本を読んだときとは印象が変わった部分はありますか?
清水 例えばストーリーが切り替わる瞬間があるじゃないですか。群像劇だからどういう風に飛んでいくんだろうとはずっと思っていたので、映像のギミックも活用しつつ、ちゃんと作品に落とし込まれていたので、見ていて新鮮でしたし、イチ観客として面白いなと思いました。もちろん台本は読んでいましたけど、現場では三浦さんと香川沙耶さん以外は誰ともお会いしなかったので、どんな画が撮れていたかも一切知らなかったから新鮮で。本当に観客みたいな感覚で見ていました(笑)。
――今作では慎吾と友人たちとのSNSでの繋がりが描かれていましたが、清水さんご自身はSNSで縁や関係性が広がったことはありますか?
清水 ありますね。僕は結構音楽を聴くので「どんな音楽を聴くのか知りたいです」と聞かれることがあって、SNSで共有したりするんです。そしたらその海外のアーティストからリアクションがきて、「ありがとう、映画見るね」とやりとりしたこともありました。そういう意味ではリアルタイムでやりとりができるわけで、国境って関係ないじゃないですか。それはこの時代ならではだし、これまでだったら絶対できないことで。人との繋がりのハードルが下がっている以上、軽薄さみたいなものが露呈する部分もありますけど、今だからこそのできることだなとすごく感じます。