同じネタでもフリートークとエッセイの組み立て方は全然違う
――『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は2冊目の著書となりますが、もともと書くこと自体は好きだったんですか?
岩井 苦手だと思っていました。書き始めたのは新潮社から話がきて、文章を上手くなりたい、だったらやるしかないなと。そもそも自分ではしゃべるのも、あんまり上手くないと思っています。ネタ作りは上手いほうだと思いますけど、着眼点や創作能力はあっても、アウトプットが全然上手くないんです。
――これまでエッセイのオファーはありましたか?
岩井 なかったですね。ラジオ(※「ハライチのターン!」TBSラジオ)をやり始めて、それを『小説新潮』の方が聴いていたらしくて、オファーがあって、最初は読み切りで1000字くらいのエッセイを書いたんです。その原稿が、ほぼ直されずに掲載されたんですよ。ただ、「また書いてもらえませんか?」というオファーもなかったので、あんまり良くなかったのかなと。でも要領を掴むのが上手いので、「もう一回やらせてもらえないですか」って頼んだんです。
――岩井さん自身からですか?
岩井 そうです。自分の出したものが向こう的に評価されなかったのが納得いかなくて、「いや、もっとできますけどね!」っていう感じで。苦手なことでも、要領の良さでパッとコツを掴んでできるようになるのに、そのままやらされない感じに、ちょっと腹が立って。
――もっと俺はできるぞと(笑)。ラジオのフリートークで、エッセイと同じ話題を取り合上げることもあると思いますが、同じネタでも組み立て方などは違いますか?
岩井 全然違います。エッセイは詳細に、ちゃんと構成を組み立てて書いてます。フリートークで話したことを全部エッセイに落とし込めるわけではないし、しゃべる方が簡単ですね。
――同じネタでも、書くことで新しく気づくこともありますか?
岩井 そうですね。エッセイでは描写を分かりやすくしています。状況を文で表すのって難しいんですよ。言葉としゃべりのニュアンス、それに映像があったら簡単なんですけどね。たとえばヨガに行くエッセイ(※「セルフ・ラブ・ヨガ教室での出来事」)がありますよね。ヨガ教室に初めて入ったら、薄暗い中に講師がいて、ろうそくなんかを立てている、みたいなところまでは状況説明できるじゃないですか。でも扉を開けて、「おう……」ってなって、でも何にも言われないから、「え?どういうこと?」っていうのを文章にするのはめちゃくちゃ難しいですよね。
――確かに難しいです。
岩井 フリートークでは、ずっと顔とか間でやってきちゃってるんで、それを使えないのは、やっぱり縛りがあるなと思いました。
――今回のエッセイ集の巻末に書き下ろし短編小説「僕の人生には事件が起きない」が収録されていますが、こちらはご自身から書こうと思ったのでしょうか。
岩井 いや、書いてくれと言われました。
――かなり細部にこだわっている印象でした。延々と描写するのって根気のいることなので大変だと思います。
岩井 表現自体は分かりやすくして、描写を詳細に書くようにしています。個人的に文章をこねくり回されると読んでられないんですよね。僕はお笑い芸人の中でもしゃべる方じゃなくて、一言言って笑いを起こすタイプだと思うんです。端的にしようとやってきたんでそのやり方が身についちゃっているんですよね。だから文章も端的にしているつもりです。
――一言のために、かなり思考しているんですね。
岩井 そうだと思います。言葉はめちゃくちゃ断捨離してます。