特別な家に生まれたプレッシャーと母の存在

――小佐野家に生まれてよかったと思うことはありますか?

小佐野 お金があるとそのぶん選択の幅が広がりますから、そこはものすごく恵まれていたと思います。この家に生まれたおかげでたくさん海外にも行きましたし、飛行機もファーストクラスに乗ったり、グループ会社のホテルに泊まったりと、得がたい経験をさせてもらいました。

――作中で、おじいさまが経営するホテルに泊まる際、お母様がたくさんチップを払ったりホテルの部屋をキレイに保ったりと、従業員に気を遣う描写が印象的でした。

小佐野 世の中には従業員に横柄な態度を取る経営者家族もいるのかもしれませんが、うちの場合、母が「自分たち一家が従業員から常に見られている」ことをいつも意識していました。だから僕も、子どもの頃から常に気を遣っていました。絶対に敬語を忘れてはいけないし、とにかく丁寧に。

――当時の小佐野さんにとって「見られている」意識はプレッシャーでしたか?

小佐野 「恵まれた立場にいるんだから、このくらいのプレッシャーは負って当然」と思っていました。自分にとってはそれが当たり前でした。今になってみると、プレッシャーだったのかもしれませんが。

――無意識に窮屈さを感じていたのでしょうか?

小佐野 それは、会社というバックグラウンドを失い、ある意味で自由になってから気づきました。小説にも書いた通り、自由になって初めて「俺は縛られてたんだ」と気づくことができたんです。「自分の足首にはリーシュ(足紐)がつけられてたんだ」と。

――作中にも「リーシュ」の表現はたびたび出てきます。お母様から縛られているように感じていたそうですが、精神的に自由になれたきっかけはありますか?

小佐野 まだ、完璧に母から自由になれてはいないと思います。ただ、いい関係にはなれた。いわゆる「共依存」ではない形で母を愛せるようになったというか。僕は普段、日本と台湾を行ったり来たりしているんですが、コロナ禍で台湾から1年半戻ってくることができなかったんです。その間にこの小説を書いたのですが、物理的な距離ができたことで、母のことを客観的に見られるようになりました。

――この作品によって、リーシュを外すことができた?

小佐野 本作はノンフィクションではなくやはり小説です。事実ではない部分もある。ただ、俵万智さんの言葉を借りるならば、「真実」は託したつもりです。この作品の主人公に寄り添うため、過去の自分ととことん向き合いました。書くことをためらった部分も書き切った。そういう点では、この作品でリーシュが外れた、というふうに言えるかもしれません。いっぽう、母からガチで自由になるのは、母が死ぬときかもしれません。そのときは、とてつもない悲しみの渦に突き落とされると思うんですけど、母子家庭で育った以上、母親の影響が大きいのはしかたないかな。

――子にとって、母親の存在って大きいですよね。

小佐野 そうですね。田嶋陽子さんの『愛という名の支配』という名著があるんですが、田嶋さんは46歳のときに、自分をものすごく厳しくしつけたお母さんに対して「私はあなたのいうことを聞きません」と言ったそうなんです。「そこから私の人生は始まったし、私は初めて私になった」と。僕は今38歳ですけど、ひょっとしたら、もうちょっと時間がかかるかもしれません。