国費留学生として愛知大学で充実した日々
――学生時代についてお聞きします。ユナクさんは高校2年生のときに愛知大学に合格、高校3年生から韓国と日本を行き来して、大学進学のタイミングで名古屋に住んだとお聞きしました。当時は、どんな進路を考えていたのでしょうか?
ユナク 当時は美容師に憧れて、美容師になろうと思っていました。ただ、そこまで将来については考えていなくて、カラオケが大好きだったし、ダンススクールに通ってダンスバトルをするのも面白かったし。みんなと一緒にキャンプに行ったり、お酒を飲んだりして、日本での留学生活はとにかく楽しかった!
――どうして留学をしたいと考えたんですか?
ユナク 父親が厳しくて、いつも勉強のことを言われていたんです。勉強以外にもやりたいことはたくさんありましたし、中学生の頃には早く家から脱出したくて、「留学させてください」とお願いしました。当時は、留学先はどこでもよくて、とりあえず解放されたいという気持ちでした。ただ留学するなら親の力を借りずに、自分の力で行こうと思って、いろいろ調べたら、国費留学生なら国から支援をもらえることが分かりました。それで本格的に日本語の勉強を始めました。
――もともと日本語に馴染みはあったんですか?
ユナク 中学生の頃に「ドラゴンボール」や「SLAM DUNK」のアニメに熱中していたので、自然と日本語に親しみを覚えるようになりました。最初はアメリカに行こうと考えていたんですけど、アニメはもちろん任天堂やPlayStationのゲームも好きだったので、次第に日本に行きたいと思うようになりました。
――実際に日本に来られていかがでしたか?
ユナク 来て良かった!一片の悔いもありません!
――愛知大学の雰囲気はいかがでしたか?
ユナク 愛知大学は本当に楽しかったです。みんな仲が良かったし、日本と中国それぞれの文化の勉強も面白かったです。学生時代はダンスをやりながら、趣味でヴォーカルレッスンも受けていたんですが、当時は予想もしていなかったんですけど、日本に来て学んだことは全部、今の仕事に繋がっています。
――大学時代はモデルのお仕事もされていたそうですね。
ユナク 周りの先輩たちがストリートファッションの雑誌に紹介してくれたんです。ブランドの服を着て、写真を撮ってもらうというお仕事で、それをきっかけにファンもできて。愛知大学まで僕を見に来る高校生もいました。その後、「ランウェイを歩かないか」と誘われて、ファッションショーに出たら、たまたま前の事務所のスタッフからスカウトを受けました。
――大学卒業後はエンタメ業界でやっていく気持ちは固まっていたのでしょうか。
ユナク まったく考えてなかったです。最終的には母が経営していたレストランを継ぐつもりでした。でも大学を卒業して、すぐ韓国に帰ったら、また束縛されると思ったので、大学院への進学を目指していた時期もありましたし、美容室で働いていたこともありました。芸能の世界で生きていくことになるとは思ってもいませんでしたし、いまだに僕が芸能人だということ自体が不思議です。