祖父からの手紙が「TOMORROW」誕生のきっかけ

――デビュー曲「TOMORROW」が生まれたきっかけを教えてください。

岡本 東京で一人暮らしをしているとき、祖父から手紙が届いたんです。最初は私が歌手になることに反対していた祖父ですが、その頃にはもう応援してくれていて、手紙の内容も背中を押してくれるものでした。手紙の最後に「涙が多いのが人生だよ」と書いてあったんです。大変な時期も「涙が多いのが人生なんだ」と思うことで少しラクになって、それが「TOMORROW」の冒頭の歌詞、「涙の数だけ強くなれるよ」になりました。

――「TOMORROW」がドラマの主題歌に起用されたときは、どんなお気持ちでしたか?

岡本 レコード会社さんがデモテープを持ってタイアップ先を探してくれたんです。そのデモテープには5曲くらい入っていて、「TOMORROW」は私やスタッフにとってイチオシ曲ではありませんでした。だから、ドラマの主題歌に決まったときは私たちが一番びっくりしました。

――そのときのイチオシ曲は世に出ているのでしょうか?

岡本 出ていません。その曲は「TOMORROW」とは真逆のマイナー系の曲で、出しにくくなってしまったんです。アップの曲は歌うのも作るのも苦手で。だから当時のストック曲の8割はバラードかミディアムバラードでした。実は「TOMORROW」ももともとはミディアムバラードだったんです。ドラマのプロデューサーの要望で「TOMORROW」をアップにしたのですが、当時の自分の中ではミディアムバラードが完成形だったので、何年も違和感がありました。

――ご自身にとって違和感のある「TOMORROW」がヒットして、どのような気持ちでしたか?

岡本 街を歩いていても、テレビからも「TOMORROW」が聞こえてきて、自分の曲なのに自分の曲ではないようなフワフワした感じでした。「TOMORROW」があまりに大きくなりすぎて、実感がないままでした。

――いわゆる「売れた」ことで、生活に変化はあったのでしょうか?

岡本 デビュー当時はメディアに一切出ていなかったので意外と生活に変化はありませんでした。なるべく目立たず静かに暮らしたい性格なので、そのまま顔出しせずに活動するつもりでした。でも、デビューした年の紅白出場が決まって、大人たちに頼まれて出なければならない状況になって。テレビに出るようになってからは生活が変わってしまい、しばらくは外を歩くのも怖くなりました。