二人の出会いは「相方探しの会」。21歳で辞めようと思っていた荒川を誘ったはる

――お二人はなぜ、お笑い芸人を目指したのでしょうか?

荒川 大阪出身なので、テレビを点ければお笑い番組がやっている環境だったのは影響しているかもしれませんね。でも、吉本はおもしろすぎるので「自分が入ったらアカン場所や!」と思っていたんですよ(笑)。とはいえ、大阪NSC(吉本興業のお笑い芸人養成所)は外から見て明るそうな世界だったので、18歳で入学しました。じつは、21歳ぐらいで辞めようと思っていたんです。入学を相談したとき、おかんから「サッと行って帰ってきたら」みたいに言われて。「やってみてあかんかったら、21歳で辞めればいいやん」と言われていたから、今も続けているとは思っていなかったです。

はる 私は小学6年生で見た「M−1グランプリ」に憧れて「漫才をやってみたい!」と思い、この世界に入ってきました。でも、途中で別の道を考えた時期もあったんですよ。週4で体育の授業がある高校へ通っていて、そこで教えてくれた体育の先生がカッコよかったので「私も体育教師になりたい」と考えていたこともあって。お笑い芸人になったきっかけは、当時の担任の先生でした。ある日の三者面談で「一回言ったんやったら、お笑い芸人をやってみたら」と勧めてくれたんです。勉強が得意ではなかったし、体育教師の免許を取れるレベルの頭じゃなかったので。その先生が背中を押してくれなかったら、今もフラフラしてたんかなと思います。

――どんなきっかけでコンビを結成したんですか?

はる 養成所時代に「相方探しの会」という合コンみたいな場があったんですよ。名前の通りですけど、男性コンビを組みたい子、女性コンビを組みたい子が輪っかになる機会があって。そのうちの一人が、荒川やったんです。みんな「誰を尊敬して入ってきた?」とか「この人になりたいと憧れる芸人さんは?」と会話している中で、荒川だけは「自分の妹がめっちゃかわいい!」と延々と話し続けていて(笑)。横目で見ながら「ええな。おもろいな!」と思い、LINE交換をお願いしました。

――そこがお二人のターニングポイントだったんですね。荒川さんは当時のことを覚えていますか?

荒川 覚えてますよ。私も「相方探しの会」に参加していたけど、本音では一人でやろうと思っていたんですよ。結果を出す自信とか、一生お笑い芸人を続ける気はなかったので。生まれも育ちもちゃうのに「コンビでずっと一緒にいるとか無理や」と思っていたし、そんな人間がやっていくなんて無理じゃないですか(笑)。だから、はるからの誘いに対しては「とりあえず、やってみようか。イヤになったらやめよ」みたいなノリでしたね。