役に近づけたと思えば思うほど喪失感は大きい

――『やがて海へと届く』の脚本を読んで、どのような印象を受けましたか?

岸井 喪失感を抱えながら親友を探す物語ですが、台本を読んだときは、探しに行くというよりも見つけに行くような感覚でした。親友を失ったことはありませんが、もしも同じ状況になったら、きっと何かを見つけたいし、確かめたいって思うんだろうなと思いながら読みました。

――岸井さん自身、喪失感を経験したことはありますか?

岸井 よくあります。身近なことでいうと、作品が終わっていくときです。役が抜けないというか、役に吸収されていった感じがするときがあって。役に近づけたと思えば思うほど、喪失感は大きいです。すごく切なくて終わりたくなかったというときもあります。でも清々しい中に、ぽっかりした喪失感もあって、それがすごく愛おしい現場もありました。ドラマの場合、撮影が終了するとすぐに、今まで過ごしてきたセットが容赦なく目の前で解体されていきます。「ちょっと待って!まだ記念撮影してない!」みたいなときは、本当に音を立てて崩れていくような気持ちになることが多いです。もちろん受け入れなきゃいけない瞬間なので、そういう喪失感とはよく闘っています。

――確かに愛着の湧いたセットが目の前で壊されるのは辛いですね。

岸井 それに、もうその役には絶対に会えないですからね。たとえシーズン2やパート2があっても、以前の感覚にはもう二度と会えないし、仲間たちとの関係性もきっと違います。ただ、みんな生き続けている限りは、役者もスタッフも、またどこかで会えるという希望を持っています。

――『やがて海へと届く』の現場でも喪失感は大きかったのでしょうか?

岸井 それが清々しかったんです。序盤に撮ったシーンが曇りで、どうしても晴れがいいということで最後に撮り直したんです。最終日は本当に快晴で、撮り直して良かったなと思ったし、撮影期間中に役を重ねていく過程で、中川監督が書き足した部分もあって、満足のいく形で終われて良かったなと。初日に最初のシーンを撮って、すべての撮影が終わってから、また最初のシーンに戻って終わる。再撮なんてめったにないことなので、それができたことでスタッフも含めて、みんな清々しい気持ちになれたと思います。

――言葉にならない感情が渦巻くシーンも多かったですが、演じる上でどんなことを意識しましたか?

岸井 真奈は言葉で語るシーンがあんまりなくてセリフが少ないんです。喪失感と言っても、なかなか言語化できないですが、真奈は誰にも伝えず、渦巻いている感情を自分の中で持っているような感覚でした。中川監督にも、「真奈はこういう気持ちですよね?」という確認はせず、これかな?あれかな?という気持ちを抱いたまま、すみれがいなくなってからのシーンも演じていました。真奈自身も、もう自分のどこにすみれがいて、どの部分が一番好きなのかも分かんなくなっちゃっているというか。だからこそ、すみれを忘れたくないし、見つけに行きたいし、何かを確かめたいと思っている。そのいろんな感情を、言葉にしないまま貼り付けている。そういうことを考えて、すみれがいないシーンもすみれのことを考えているという状況を、カメラで捉えていただいている感覚でした。

――いなくなってしまった存在を思い続けたままでいるということでしょうか?

岸井 そうですね。でも忘れちゃうときもあって、自分自身もそれに気づくんです。真奈はそういう自分も、前に進もうとするすみれの元恋人・遠野君や、すみれのお母さんも許せない。その気持ちは撮影をしていくうちに共感できました。浜辺美波ちゃんと一緒のシーンは短かったんですけど、すみれがいなくなってからのシーンでも、その瞬間を思い出せるだけ思い出してみるんです。でも撮影に入ると考えなきゃいけないことが他にもいっぱいあって、うっかり美波ちゃんとのシーンを忘れている瞬間もあり、それが真奈と重なるなと思ったんです。でも、「私はこう思ったんです」と中川監督に言ったら、その気持ちを手放してしまう気がしたので、そういうことは監督に言わずに、自分の中で気持ちを作っていきました。