吉村は「俺が俺が」、僕は「どうぞどうぞ」で長くやってきた
――どうして高校卒業後、NSCに入ろうと思ったのでしょうか?
徳井 同級生から「芸人やってみたら?」と言われただけで、クラスの中で面白い奴だった訳でもなかったんです。全然明るくもなければ、前に出て目立ったことをしたこともなかったから、僕のことを憶えていない同級生の方が多いと思いますし、僕が本当に芸人になるとは、その同級生も思っていなかったんじゃないかな。そのぐらい将来については具体的に考えていませんでした。
――東京への憧れはありましたか?
徳井 もともと僕は千葉で生まれて、中学2年生で北海道に引っ越しました。千葉といっても君津だから都会とはいえなかったけど、自分としては北海道でもシティボーイのつもりでした。それに、とにかく田舎を出て広い世界に行きたい気持ちが強かった! というのは、当時、いじめられていた子がいたので、いじめっ子に「何でいじめてるの?」と聞いたら、「息がくせえ」と。そんなことで無視しているのか!しょうもな!と思って、次の日から、いじめられていた子に僕が一人でしゃべりかけるようになりました。結果、いじめはなくなったんですが、そんな「狭い世界」にこのままいることが嫌で堪らず、東京に行こうと決めました。ただ、お笑いの道に進むとは思っていませんでした。人前に出ることもなくNSCに入った訳ですから、素人中の素人は同期で僕ぐらいだったんじゃないですかね。
――NSC入学後も、本気で芸人は目指していなかったんですか?
徳井 先ほども話しましたが、同期があまりにすごすぎて、パチプロになろうかななんて漠然と考えていました。パチスロの雑誌を読んでいたら、面白いコラムを書くパチプロライターがいることを知って、自分は文章も書けるつもりだったし、パチスロも好きだから「これ行けんじゃないか」と。どうせ辞めると思ってちゃんとNSCにも行っていなければ、バイトも寝坊しがちでした。そんな状況のなかNSC卒業後、吉村に「コンビを組もう」と言ってもらったので、渡りに船という感じで……(笑)。今の若い子のほうが100倍立派だと思います。
――コンビ結成当初、吉村さんとはどんな関係性だったのでしょうか。
徳井 僕は全部受け身で、相手に声をかけられたからコンビを組んできました。逆に吉村は、僕と組むまでいろんな人とコンビを組んでいましたが、おそらく全て自分から声をかけていたと思います。平成ノブシコブシを組むときに、ネタを作るのも吉村、ボケも吉村ということを話し合って決めたんですが、ずっと僕は言われるがままでしたね。たぶん僕みたいなタイプじゃなかったら、血気盛んな吉村はしょっちゅうケンカしていたんじゃないかな(笑)。吸収するタイプの僕と、発動するタイプの吉村という組み合わせが合っていたんだと思います。いまだに僕は、強い熱がある人がいるなら、その人が前に出てやればいいと思いがちです。ひな壇でこれを言ったらウケるかなと思ったとしても、横で「めっちゃ言いたい!」という人がいたら、たとえそれが面白くない一言でも、こいつが言った方がいいだろうと、譲っちゃうんですよね。コンビでもそんな感じで、常に吉村は「俺が俺が」、僕は「どうぞどうぞ」で今に至ります。
――そういうコンビは珍しいのではないでしょうか?
徳井 そうですね。だから他のコンビはケンカするんでしょうしね。うちらはケンカというより、吉村が怒って、僕が「分かった」と言っているだけで、言い合いにはなっていないと思います。