いろいろな意見の人が嫌がらない言葉選び
――いろいろな設定ができたのは、ラジオパーソナリティとして日々のニュースと接しているのも大きかったのでしょうか?
やしろ 大きかったですね。たとえば陰謀論。YouTubeも含めて、地上波で見られないようなものを通して、人々の考えていることや、ひとつのニュースに対するリプやコメントをたくさん読みました。その人のアカウントを追いかけることで、「こういう生活をしている人が、こういう価値観になるんだ、こういう怒り方をしているんだ」と。それは毎日、ラジオで3時間しゃべらせていただくためのアプローチとして、もともとやっていた習慣でした。改めて、みんながニュースに対してどういう風に考えているんだろうかと、コロナ禍の1年半で深掘っていきました。
――物事を中立的に見るのはラジオで鍛えられた部分が大きいですか?
やしろ 鍛えられたと思います。スタッフがいい番組を作っているのに、僕自身がどちらかに立ってしまうと、僕と意見が合わないからラジオを聴きたくない人が出てきます。これが、たとえば久米宏さんの番組だったら、久米さんの意見を聴きたいという番組なのでいいんです。久米さんが好きだから聴く、嫌いだから聴かない、それが許されるネームバリューですから。でも僕はそういうネームバリューがない。一人でも多くの人に番組を聴いていただこうと思ったら、全部の意見を把握して、いろいろな意見の人が嫌がらない言葉選びをしていかなければならない。それがそのまま小説に活きていると思います。
――ネガティブなコメントに対しても、心を乱されずに冷静に受け止められるものですか?
やしろ 番組や自分に対する直接的なコメントはストレスになります。これは本の話とは少しズレますが、先日ラジオで8歳の女の子と5歳の男の子が「紅蓮華」を歌っていて可愛かったんですが、Twitterを見ると、うちの番組のハッシュタグを付けて「子どもがうぬぼれて歌っていて気分悪い」という投稿がありました。Twitterはその子の親も、本人も見るかもしれないところに、わざわざハッシュタグをつけて、8歳と5歳の子に文句を言ってる。アカウントを遡ったら社会人だったのですが、放送中もムカついていましたし、そういうことに対しては毎回冷静ではいられないです。
――ラジオに寄せられるメールは、SNSとはまた温度感が違いますか?
やしろ Twitterのハッシュタグは遠慮のない人も多いですが、番組の掲示板には丁寧に書いてくださる方が多いです。とはいえ、コロナ禍では医療従事者のコメントだけを読めば保育士さんが怒りますし、保育士さんのコメントを読めばスーパーの従業員の方は怒ります。みんなが大変な状況のなか、怒っている方はとにかく多かったです。
――やしろさんご自身はコロナ禍でネガティブな気持ちになることはありましたか?
やしろ 作り上げた舞台が中止になったことは気持ち的にすごく落ちました。小説にも書きましたが、僕が演出をする舞台もマスクとフェースガードが必須になり、初舞台の男の子たちの表情をマスクで見られないまま1カ月稽古していると、「僕は何を教えるの?」という気持ちになりました。それ以降、コロナ禍に演出の仕事は引き受けないと決めています。そういう意味では、気持ちが折れたというか、割り切った部分は多いです。それだけにこの本を書かせていただけたことは、使えない脳みそを全部流し込めたので大きかったです。