ネタ以外のことをするのはイロモノだという雰囲気があった
――どうして国税局での仕事を選んだのでしょうか?
倉田 公務員試験は日程が重ならない限り併願できるんです。それで合格したものの中から、お金を扱うことが自分に合いそうだと思って、国税局を選んで2年1か月勤めました。他ではできない仕事で楽しかったですね。常に新しい知識が求められるから自己研鑽も必要ですし、出世争いもあって刺激もある。常にヒリヒリしている雰囲気はあるのですが、同期とは仲良しでした。
――国税局に勤めた当初から、転職は考えていたのでしょうか?
倉田 もちろん最初は38年間務めるつもりでした。でも1~2年くらい経った頃、芸人がいいなという気持ちになったんです。
――学生時代からお笑いの世界に興味があったんですか?
倉田 全くなかったです。普通にバラエティ番組を見ていた程度ですね。社会人になってからも、それは変わらずで、お笑いライブにも行ってなかったんですけど、テレビでお笑い芸人さんを見ていて「いいな」と思ったんです。
――国税局を辞めるときに、ご家族には相談されましたか?
倉田 していません。子どもの頃から親に相談しないタイプでした。職場の人にもストレスが溜まって辞めた雰囲気を出していましたが、特に辞める理由は話しませんでした。
――数あるお笑い養成所の中で、どうしてNSC(吉本総合芸能学院)を選んだのでしょうか?
倉田 大きい会社の方が安心だからです。今でも吉本で良かったなと思います。公務員だった頃は、そこまで分かっていませんでしたが、吉本の大きさは他の芸能事務所に比べてもハンパじゃないんです。社員さんの人数も700~800人いますし、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスと一緒に会社を作るなんて、他の芸能事務所では考えられないですよね。
――国税局とはガラリと雰囲気が変わったと思いますが、すぐに馴染めましたか?
倉田 すぐに馴染めました。みんな面白かったですからね。ニューヨークやおかずクラブが同期ですが、彼らは当初からめちゃくちゃ面白かったです。
――国税局でのキャリアは武器になると思っていましたか?
倉田 全くなかったですね。国税云々言い始めたのはお笑いコンビを組んで3~4年経ってからです。
――お金の知識を活かそうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
倉田 芸人を始めて4~5年経った頃、先輩や同期に「芸人の前は何やっていたの?」と聞かれて、国税局で税務調査していたと話したら「珍しいね、ネタに活かしたほうがいいんじゃないの」と言われたことがあって、ネタに入れはじめました。そのために勉強をもう一度しなければならなかったのですが、それをアウトプットする場がないのでTwitterに投稿し始めたら、それを見てくれた人がお金に関する仕事もくれるようになっていきました。
――方向転換をするのは思い切りも必要だったのでは?
倉田 僕が芸人を始めた頃の吉本は、とにかくネタが大切で、ネタ以外のことをするのはイロモノだという雰囲気でした。ただ「アメトーーク」で家電芸人などが流行りだした頃から、芸人も趣味を活かして仕事をしてもいいという空気に変わりつつありました。それで意識的に税金のことをたくさん発信するようになりました。でも時間はかかりましたね。今でこそ〇〇芸人というくくりで活躍する人も増えていますし、もともと面白くて売れていても他に武器を持っている人も多くなっています。自分と関わりのない会社の役員になるなど、収入の得方も多様化してきていますが、僕は黎明期から頑張っていました。
――いつ頃、ネタをやらないと決めたんですか?
倉田 コンビを組んで10年目です。10年やったし、もういいだろうという気持ちになりました。ちょうど相方から解散したいと言われたタイミングで、僕はピンになっても生涯ネタはやらない、自分ができることで芸人を続けていこうと決めました。コンビ時代から、税金に関する本を出したり、講演会などをしたりしていましたからね。
――ネタをやらないという選択も勇気が必要ではないでしょうか。
倉田 もちろん最初はみんなネタを頑張りますが、今の僕のようにネタをやめてしまうタイプの芸人は同期にも先輩にもいました。ネタやトークが圧倒的に面白い子たちと同じところで戦っても意味がないし、違うやり方を探さなければいけないということで、みんな模索して変えていくのではないでしょうか。