少ない休日も自ら練習室に行って仲間と曲作り
――韓国は上下関係がしっかりしている印象がありますが、YGはいかがでしたか?
NOA そうですね。スタッフさんや練習生の先輩方に対する挨拶など、たくさん学びました。「こうしたらいけないんだよ」というのも親切に教えてくださいましたし、僕が12歳というのもあって、何事も習得しやすい年齢でした。
――韓国語の習得にはどのぐらいかかりましたか?
NOA 自分では2年ぐらいで自由にしゃべれているつもりだったのですが、後になって自分の韓国語を聞いてみると、まだ外国人っぽい訛りがありました。3、4年すると、そういうったものも全部なくなって、「本当に日本人なのか?」と疑われるようになりました(笑)。
――インターナショナルスクール卒業後は、1日のスケジュールはどんな感じだったんですか?
NOA 朝の11時に出勤して、まずは英語と韓国語のレッスン。その後にダンスレッスン、ボーカルレッスン、発声レッスン、ピアノレッスン。それから、筋トレみたいなものがあって、全て終わるのが21時ぐらい。さらに残って自主練習をして、24時半ぐらいの最終電車に乗って帰宅、寝るのが3時というのが毎日のルーティンでした。それが週6あって週1の休み、2週間で休みが1日だけという時期もありました。
――曲作りも韓国で始めたんですか?
NOA 曲作り自体は、9歳頃からやっていて、事務所に入ってから、同い年の子が本格的に作曲をしている子だったので、そこに影響を受けて本格的に始めました。ピアノレッスンを入れてもらったのも、ちゃんとコードなどを学びたかったからです。
――練習生として過ごした6年間でデビューのチャンスはあったのでしょうか?
NOA 何度もありました。グループでデビューするための曲を、僕自身も携わって作ったこともあります。デビュー目前までは行くんですけど、ちょっと違うなということの繰り返しでしたね。事務所によりますけど、基本は5年目ぐらい、早ければ3年目でデビューする人もいますから、6年目に入るとかなり焦りました。自分で曲作りもしているからこそ、今この曲を、このタイミングで出さなきゃいけないというようなトレンドも意識していたのでなおさらでした。
――韓国で学んだことで、パフォーマンスや礼儀など以外の面で、今も活きていることはありますか?
NOA 「世界を目指して!」というのは練習生の時から叩き込まれるので、一つの国の中だけではない活動を目指そう、そのためにもファンの方にはこういうことをしてあげなきゃいけない、という考え方は韓国で培われました。世界を視野に入れるにあたって、韓国語の他に英語を学ばせてもらったのも大きいですね。