大阪で築いた基盤を背負って東京へ
――お二人が東京進出してすでに5年になりますが、やはり大阪の空気感とは違いますか?
安田 そう思っていたのですが、周りにいるのは大阪の人が多いので、それほど実感できていないかもしれません。
石井 若手のころからずっと一緒に活動してきたGAGさんとは今も一緒なので、活動する場所は違っても、ずっと同じことをしている感じですかね。
――東京進出を決めるうえで、何が大きなきっかけとなりましたか?
安田 僕らは当初から、東京に行こうと思っていました。ただ、当時はまだ東京と大阪の行き来が難しい時期やったんです。「行きたいんですけど」っていっても「ダメです」と。
石井「もうちょっと大阪で頑張ってほしい」と言われて。
安田 それで、関西で賞を取るなど、ある程度基盤のようなものを作ってから東京に行きたいと思ったのが9年目のときだったのですが、ちょうどタイミングよくポンポンと賞が取れたので、10年目になるタイミングで東京に出てきました。
――お二人の漫才はコテコテの関西のものとは一線を画している気がします。もともと別のコンビで活動されていましたが、その芸風は結成後に新しくできたのでしょうか?
石井 確かに大阪っぽくないねとはよく言われますね。600人くらいいたNSC29期生のなかで、僕たちがそれぞれ組んでいた2組だけが、今みたいな感じの芸風でした。わりと元気というか、コテコテの感じの人たちが多かったこともあり、僕も最初はそちらに憧れていたんです。ただ実際やってみたら、「ちょっと無理しちゃっているな」と思って戻しました。もともと今に通じる芸風の2組の人間どうしだったので、特に話し合うこともなく、普通に漫才したら今の感じになりました。
――キャリアについてお聞きします。お二人とも高校卒業後、それぞれ違う道にすすまれてから、NSCに入られたそうですね。
石井 僕は、高校の同級生に誘われてNSCに入りました。高校生のころからお笑いが好きでよく見ていたんですが、うちの親も、その同級生の親も「大学ぐらいは出ておいてくれ」という昔ながらの感じやったし、二人で同じ大学に入って、卒業の目途が立った大学4年生のときに一緒にNSCに入りました。
――最近はNSCでも大卒の方が多いですが、いったん大学に入学してから、改めてお笑いの道を考える意味でも大学に進んだ方がいいと思われますか?
石井 単純に時間の余裕があったので、遊んだりバイトしたりするというような「一般的」な時間が過ごせたのはある意味よかったです。ただ、高卒でいきなりNSCに入るというのも、ビビってしまうような気はします。
――一方、安田さんは高校卒業後、専門学校に進まれました。
安田 小さいころからずっと建築系の道に進みたいという夢と、お笑いをしたいという2つの夢がありました。小学校の時は内緒で放課後に漫才したりしていたくらいですから、本当はお笑いをしたかったんだろうとは思います。でも現実的な話ではないと思っていたので、真面目な家族にそれを言うこともありませんでした。高校卒業してからも、やっぱり勇気がなくて結局、建築系の専門学校へ行ってから就職したんです。でも、大学4年生、22歳のとき、急に「うわ、どうしよう、今行かんかったら、行かれへんやろうな」と思ってNSCに入りました。とはいえ、NSCはとんでもない化け物の集まりだし、どうせ3年もしたら辞めるだろうという感じで、自信は全くなかった。でも一回チャレンジしてみて、駄目やったら諦めが付くし、また建築の方に戻ればいいという気持ちがあったことは確かです。それが、石井君との巡り合いもあって、あれよあれよという間に気付いたら、16年も続けていたという感じです。