周囲にどんどん大声で主張することが大事

──若い頃、どのように進路を決めていったのか教えていただけますか?

マキタスポーツ 小学6年生の卒業文集で「芸能人になってアホなことをやる」と書いたっぽいんです。なんとなく覚えている程度なのですが、数十年ぶりに会った友達が文集を持ってきてくれたんですよね。にもかかわらず、この本でも書きましたが、途中で芸能人からエッセイストへと目標が変わったんですよね。自分でも訳がわからない。要するにこれは自分のことを支えてくれた両親とか、山梨の狭いコミュニティに対し、「俺は芸能人になります!」って言い切れなかったから。変な自意識が邪魔して、「芸能人?なれる訳ないじゃん」って笑われるのが怖かったんです。でも結果的にはエッセイも書いているし、音楽もバンドも俳優もやっている訳だから、小学校の頃からの夢は全部叶ったということになるんでしょうけど。当時は否定的な意見に対して「なれるんだよ」って明るく言える性格じゃなかった。今思うと、めっちゃ恥ずかしいですけどね。

──特に若い頃は周囲に対して妙にカッコつけがちですよね。

マキタスポーツ 簡潔にまとめると、意気地がなかったんですよ。この本の中では、それを志保という女の子に言わせていますけどね。「芸能人なんてなれるわけねぇじゃん」という嘲笑に立ち向かう勇気がなかった。突っ込まれるのも、からかわれるのも嫌だった。世間には何か行動しようとすると難癖をつけてくるような人が必ずいるわけです。そこに向かい合ってこなかったがゆえに苦悩したというのは、僕の大きな誤りだったと考えています。だから若い子たちに言いたいのは、やりたいことがあるんだったら「自分はこれがやりたいんだ!」と周囲にどんどん大声で主張することが大事。もっとも、そのまっすぐすぎるエネルギーによって誰かが傷ついていたりするかもしれない。そういうところまで想像力を持てると、なお素晴らしいですけどね。とにかくチャレンジするなりアクションを起こすなりしないと、何も掴めないというのは間違いないです。

──しかし、これだけ自意識をこじらせたマキタスポーツさんの分身・臼井圭次郎がSNSをやっていたら、さぞかし大変なことになっていたでしょうね。

マキタスポーツ とんでもない大炎上野郎になっているはずです。特にTwitterなんて140字しか書けないんだから、本来、議論するのに著しく向いていないんです。有名人を攻撃するためだけに作ったような捨てアカで朝から晩までネチネチ書き込んでいる時代を生きていると、「何が多様性だ。笑わせるな」って言いたくもなりますけどね。でもそういう卑怯なことしかできない人ですら、どこかで他人と繋がりたいと考えているのかもしれません。他人からの評価がほしいんでしょう。