自分の名前でやりたいと両親を説得してデビュー

――坂本さんが音楽を始めたきっかけを聞かせてください。

坂本 私は親の影響で小さい頃からたくさん音楽に触れてきたんですけど、なんとなく自分が表に立つことはないなと思ってたんです。スタジオのエンジニアだったりジャケットのデザインだったり、何かしらで音楽に携わりたいとは思ってました。デザインの勉強をするつもりで高校のときは美術を専攻していたんですけど、16歳のときにSister M(「The Other Side Of Love」Ryuichi Sakamoto feat. Sister M)という企画があって、教授(坂本龍一)に呼ばれて「ちょっと声を聴かせて」って言われたんです。そしたら、そのプロジェクトにぴったりな声だというので1曲限りのつもりで歌ったんです。

――そうだったんですね。

坂本 そしたらレコーディングで歌って音に溶け込む感覚があまりに気持ち良過ぎて、これからも歌っていきたいと思ってしまったんです。そこからSister Mではなく、自分の名前でやりたいと両親を説得しました。最初のアルバム(『DAWN PINK』)は教授のプロデュースで制作しましたが、20代は放牧時代というか(笑)。デビュー後、ニューヨークから東京へ来て初めての一人暮らしで、最初は友達も全然いなかったし、世間知らずのまま東京ライフが始まって、みんなに育ててもらいました。

――幼少期からニューヨークで暮らし、高校時代から音楽活動が始まって日本で暮らし始めたと。

坂本 そうです。ニューヨークで通っていた高校が郊外のみんないい大学に行くようなところで、でも大学に行くイメージが全く湧かなくて、小さい頃から音楽に関わること、例えばCDのジャケットのデザインがやりたかったので、ロンドンのセント・マーティン大学を考えたりもしました。高校で美術を専攻したりニューヨークのパーソンズ美術大学の夏期講習を取ったりもしましたが、今は全く何も身に付いてないです(笑)。

――高校卒業後は進学したんですか?

坂本 16歳から音楽活動が始まったので、大学には行きませんでした。今は大学に行っておけばよかったなと思ったりもするんですけど、音楽が現れたとき、それ以外の進路はなかったですね。