沖縄の海は竜宮城。見ているだけで幸せ

――『海ヤカラ』は初の小説とは思えないほど人物・風景描写が生き生きしていると感じました。

照屋 僕はずっとコントばかり書いてきたのですが、コントは面白ければいいやというボケの連続な訳です。それが今回のオファーをいただいて、物語というものを書かなければいけないとなったときに、書けない自分がいたんですね。これまで13作品も脚本を書いてきたので、物語の作り方みたいなものは自分の中でも分かっていたつもりでした。ただ脚本はセリフだけ書けばよかったんです。そのほかの描写はト書きもあるし、ロケハンに行ってカメラマンに「ここを撮ってください」とお願いすればいいし、役者さんには「ここはちょっと怒りを抑えてください」と説明すればいい。

――脚本にない部分は言葉で伝えればいいと。

照屋 ところが小説は100怒っているのか、65ぐらいの怒りなのか、それともただ大声を出しているだけなのか、本当は殴りかかりたいけれども、自分の中で冷静にしながら拳をずっと握り締めている怒りなのか……文字だけで無数に表現がある訳ですね。自分の中で、文字で表現する言葉の少なさに愕然としました。だから完成するまでに2年もかかりました。最初に書き始めた文章なんて幼稚すぎて、とても読めたものではありません。

――物語の舞台は沖縄の糸満。糸満で生まれた伝説の漁法「アギヤー漁」から物語はスタートします。物語の中盤で出てくる「ハーレー」(※「サバニ」と呼ばれる昔ながらの木製の舟で競い合うお祭り)もそうですが、海のシーンはとても臨場感がありました。

照屋 アギヤー漁は昔の漁法なので、動画で見させていただいた程度で実際に見たことはありません。ハーレーも僕は那覇出身だったこともあり実際に見に行ったことはありませんが、その時期になるとニュースで嫌というほど流れるので、見慣れた風物詩でした。だから身近な存在ではありました。

――ゴリさんにとって海は小さい頃から身近な存在だからこそ、描写も鮮やかなんでしょうね。

照屋 沖縄の海は竜宮城だと思います。僕は沖縄の海では“泳ぐ”という表現をしないんです。“浮かぶ”で“泳がない”。夏の湘南の映像なんかを見ると、みんな上半身裸になって、「わーっ」と騒いでいる。あれは沖縄では考えられない。沖縄ではみんな水中メガネをつけて浮くんです。泳ぐんじゃなくて海の中を見るんですよ。24色の絵の具のように色とりどりの魚たちが泳ぐ光景、波の動きの屈折によって白い砂浜にいろんな太陽の光を描いてくれる光景。もう見ているだけで幸せです。