幼稚園からの夢「映画監督になること」

――監督は高校生の時にはもう映画監督という進路を決めていたのでしょうか?

𠮷田 目指していました。俺、幼稚園の頃から目指してたもん。小学校の卒業文集とかも、みんながサッカー選手とか野球選手とかいう中で、全部「映画監督になりたい」だし。それ以外考えられなかった。

――幼稚園時代から映画監督一筋という!

𠮷田 しかも映画監督の仕事が何か分からないのに、「映画監督になりたい」って言っていたの。幼稚園の時にジャッキー・チェンが好きで、子どもって多くの場合「ジャッキー・チェンになりたい」って思うじゃない。でも、俺は「ジャッキー・チェンを使って敵と戦わせたい」と思った。そうしたら、大人が「それは映画監督がやっているんだよ」って教えてくれて、それがきっかけで。小学校の4年生ぐらいに「映画監督になるためには」みたいな本を手に入れて、読んで、はじめてそこで理解したから。

――本を読んで、具体的な仕事内容について理解するように?

𠮷田 その本を読んだら「学校の勉強の出来はあまり関係無いらしい」と思って。今思えば、自分にいいように読んでいたのかもしれないけどね(笑)。それから一切勉強しなくなっちゃって、全力で遊びに傾いていって、その結果一番偏差値の悪い高校に入ったのに、ダブりで4年間に通うハメになった。残念ながら。

――高校卒業後は本格的に映画作りの勉強を始めたのでしょうか?

𠮷田 高校卒業後は映画の専門学校に入って、その頃、塚本晋也監督の追っかけだったんだけど、トークショーに行ったときに、「ボランティアスタッフ募集」というお知らせを見て、学生からもう塚本組に入っちゃった。塚本監督の撮影は何年に一回しかやらないから、その間に自主映画を作って賞に出して落ちて、また塚本組の手伝いに行って、映画を作って落ちて…という繰り返しを10年間ずーっと。金もなく評価もされず、苦しい10年間でしたね。実家に住んでいたけど、壁に100個くらい漢字で「壁」って書いてたもん。今も実家行ったら壁いっぱいに「壁」って書いてある。親も相当心配したと思います。

――監督の『なま夏』という作品が「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(2006)での受賞していますが、その頃が転機となったのでしょうか。

𠮷田 自主映画は俺の自己満足映画で誰にも伝わらず、だんだんテーマとかを考える様になっていって。でも、「ぴあフィルムフェスティバル」とか「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」とかでグランプリを取るための傾向と対策を立て始めて作品を作り始めたら、結局二番煎じのものが出来上がってくるわけです。それも一次審査が通らない。そんな事を10年間やっていたら、先輩から「お前の独特の変な感じをそのまま映画にした方が良いんじゃない?」と言われて。そういった傾向と対策を捨てて、もうこれでダメなら最後と思って撮った自己満足映画が『なま夏』で。自己満足は自己満足なんだけど、それまで模倣をしてきた結果、技術が向上して“見せられる自己満足”になったと。

――二番煎じになってしまっていた時間が奇しくも生きてきたわけですね。

𠮷田 それで映画祭で賞や評価をいただくようになってから、いまだに俺の中では自己満足映画を作っているんだけど。誰かに「こういう映画を作ってね」とか言われることもなく、自分が面白いと思うことを作り続けている。