6つ離れた兄弟が映画制作ユニットを結成したきっかけ

――なぜ、兄弟で映画を製作することになったのですか?

三野龍一(以下、龍一) 僕は、助監督の仕事をやっていたんですけど、フリーランスなので、自分で挑戦しないと何も生まれないという状況だったんです。20代中盤から後半にかけてはドラマを始め、いろいろな仕事をしていたんですけど、「面白くないな」とずっと感じていて、何か変えないといけないと思っていました。一方、弟は6つ離れているんですけど、ずっとスポーツをやっていて、ソフトテニスで全国優勝するくらいの強豪校にいて、スポーツ推薦で早稲田大学に入学したんですが、大学2年生のときにはスポーツを辞めていました。そんなときに久しぶりに会ったんですが、弟は高校から寮に住んでいたので、僕の中では子どものときのイメージのままで、6つ離れているのもあって、他人に近い感覚でした。

――それだけ年齢が離れていて、住む場所も違うと、なかなか話す機会もないですしね。

龍一 それで弟の家に行ったときに、自己分析ノートに目がとまったんです。大谷翔平選手みたいなことを弟なりにやっていて、自己分析をしている文章がとても面白かった。ちょうど僕は1本目の映画を撮ろうと思っていたので、一緒に映画をやらないかと弟を誘いました。僕が脚本を書くよりも弟が書いた方が絶対に面白くなるという確信があったからです。それから脚本作りがスタートしたのですが、弟は業界のことも何も知らなかったので、今で言うパワハラ的なところもあったかもしれません(笑)。

三野和比古(以下、和比古) パワハラというか兄弟という関係性だとできるところもあるんですよね。

龍一 「これは面白い、これは面白くない」とバチバチやっていると兄弟げんかみたいな状態になるんです。でも兄弟だからこそ耐えられるというか。

和比古 それが当たり前だと思っているところがあったので、逆に正解も分からないんですよね。

龍一 今は映画制作チーム「MINO Bros.」としてやっていますけど、「自分とは何だ」「MINO Bros.とは何だ」というところまで、二人で会話しながら自己分析をして。だから正直、脚本、監督と分けている意識はないんです。もちろん現場では僕が監督をして、弟が脚本という設定ですが、お互いに鏡みたいな存在なんですよね。他人だったら成立しないような曖昧な会話でも、見えているものが一緒だからスピードがすごく速い。そういうところから二人で始まったんです。ただ兄弟とか血の繋がりとかはどうでもよくて、自分の世界の中で映画を作るためにどうしたらいいのか、結果を出すためにどうしたらいいのかを考えたときに、たまたま目の前に弟がいたというだけです。だから、兄弟で仲良くというのとはまたちょっと違うんですよね。

三野龍一